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K君への手紙(1994年9月)
1994年9月4日
 前略、日本ではまだまだ残暑が続いているのだが、そちらではいかがお過ごしかな。野田で過ごした初めての夏は戦後最高の暑さだったのだけれども、都心よりは確実に涼しい、さらに高い建物がなく空がやたらとよく見えるし(このあたりの人々は3階建てを高い建物と呼ぶ)、カブト虫やクワガタを道ばたで拾ったこともある。近くに江戸川と利根川の河川敷があるからか、打ち上げ花火も盛んで毎週末どこかで花火が上がっていた。
(1996年の補足:1994年6月に三鷹から野田へ転居した。)
 そんな夏だったけれども海にも行かず(一度は行ったのだけれども、この夏唯一雨の降った週末となった)、もっぱら仕事をしていた。おかげでできあがったシステムは十分自画自賛するに値するできとなり、満足している。

 だからと言うわけでもなかろうが、9月21日付を持って部内での移動と相成った。今度行く先はPC(ピーシー)タスクなる随分な名前の部長直轄スタッフである。

 PCTが主に手がけるのは今はやりのダウン(ライト)サイジングの一手段としてのNETWARE導入のようだ。私は文房具としてPCが使えればうれしい訳で、LANを構築できるほどの技量はない。94年下半期は結構苦しみそうだ。もっともこれを乗り切れば3年は飯が喰える?

 PCTへ移るからと言うわけでは全くないのだが、個人持ちのPC環境を充実させることとした。その第一段としてNANAO Flex Scan 53Tと言う17インチモニタを買った。1280ドット×1024ラインモードまでを推奨、1600×1200までの対応で、水平走査周波数が85Hzまである、「スタンダードな17インチモニタの新基準」を満たしている。トリニトロン管である。1280ドット×1024ラインモードまでに対応している17インチモニタはもっとも安い物であれば78000円からあるのだが、水平走査周波数が85Hzまでないと1280ドット×1024ラインモードはちらつきが出てしまい、使い物にならないとのことである。このスペックを満たすモニタとして飯山電気のフラットスクエア管の物(実売価格88000円〜)も候補に上げてはいたのだが、さすが天下のNANAOである、並べてしまうとどうしてもNANAOが欲しくなる。幸い秋葉原(かつてVCRを一所懸命に追っかけていた頃には新宿のヨドバシあたりの方が安かったのだが、ことPCとなると秋葉原の一人勝ちである。VCRはショップブランドなど存在し得なかったが、PCは数限りないショップブランドがあり、その余波かモニタなども秋葉原がダントツに安い。このNANAOのモニタも定価190000円を118000円で買ったのだから、約38%引きである。このモニタ今年の7月にデビューしたのにである。

 この新しいモニタに例のFMVをつなげて使っている、とっくにLCDの不調は修理したのだけれども、仕事場で毎日17インチディスプレイを使っていたので今更10インチ白黒LCDなど使ってはいられない。それにしても大きなモニタはいい。メモリが、ほかよりちょっと大きいことだけが取り柄(実装12MB+HDD上のスワップファイルが15MB)のSX25、VRAM512KBマシンもちょっとだけすばやくなったような気がする。なお、今は1024×768(16色)で表示している。

 こんないいこと尽くめの17インチモニタだけれどもやはり大きい。おかげで部屋はまとまりつかずにあれ放題だ。

 さらに、仕事でDTPソフト(自分で買ったのだけれども)を使ってからは、Windowsを使うマシンは最低でもDX2+16MBメモリ+2MB・VRAM(グラフィックスアクセラレータ)と判った。

(1996年の補足:DTPソフトと言っても、FD1枚に収まる簡易なものである。)

 ちょうど頃合にデジタル・フォトビクスなる「フィルム画像をPCへ取り込む」装置が出た(実売価格155000円)ので、PCも買い足すことにした。

 と言うことで、昨日秋葉原へ出かけてPCの注文をしてきた。当初はEPSONの通販でPC−AT互換機を手に入れようと思ったのだが、今一つ予算と折り合わない(それでも、EPSONダイレクトの社長はAT機メーカのプライスリーダだと言っている)ので、秋葉原のショップブランドにした。おかげでCPU=DX2、外部キャッシュ=256KB、RAM=16MB、VRAM=2MB、PCIバス、HDD=540MB(IDE)、CD−ROMドライブ(2倍速・マルチセッション)、サウンドブラスタ16、SCSI2インタフェース付、ミニタワー匡体を325000円で注文できた。ただし、1円でも安くするために106キーボードが標準であるところを101キーボードにして−800円、さらにDOS+WINのプレインストールをカットして−12000円としての結果である。

 このセットを組み立てて宅配便で送ってくれるのだが、よくよく考えたら101キーボードだと、ATOK8を使うときに割り付けられていないキーがある。これはまだよいのだが、DOSとWINをプレインストールしないで、PCビルダはどうやってビデオカード、CDROMドライブ、サウンドブラスト16などのデバイスをセットするのだろうか?。もし自分でやるとなるとこれは面倒くさい。

 納品は9月6日の予定なのでそのときに判明する。

 もっとも自分でこのあたりの設定が出来るようになると自分でPCの組立自体も出来るようになるのだろう。商売できるな。

 この前ひさかたぶりにファイターのフルメンバー(手島・藤原・早津・吉野・二瓶・吉川・三輪)が飲みに行った。とにかく凄いは!あれだけ笑ったのはいつ以来かと言うぐらいにとにかく笑った。その場にいた者でなければわからんとは思うが、吉野の「金日正の死を悼む北朝鮮人民」を初めとする新ネタの数々。破壊的だ。一次会だけつきあって、2次会の「ランジェリーパブ」(手島・藤原・吉野・二瓶は特定の店に通っているらしい)には同行しなかったけれども、ますます盛り上がりそうな様子だった。

 猪木のWCW遠征は見に行ったのだろうか。私と三輪は10月の阿修羅原引退ツアー「阿修羅原LAST3」10/3長崎大会を見に行く予定だ。交通費の関係があるので車で行くことが有力なのだが、さすがに二人だけで運転するのはしんどいので職場の新人を一人巻き込んで合計3人で片道1000キロのツアーに出かける予定だ。たぶん、LAST3の10/1大分も行くことになるだろう。なお、当初長崎大会が最後の試合になるはずだったのだけれども、10/29後楽園ホール大会が最後の試合になった。10/3のカードはたぶん天龍・阿修羅原対ターザン後藤・大矢になるのだろう。

(1996年の補足:何を根拠に天龍・阿修羅原対ターザン後藤・大矢としたのか思い出せない。結局、予想ははずれである。)

 阿修羅原は今年の10月で引退するのだが、天龍も95年3月でピリオドを打つような気がする。94年12月に国技館で切り札とも言うべき対北尾戦を行うばかりか、WARの予定は今年の12月までしか発表されていないのに「来年3月まで突っ走る。」と言っている。来年3月というと、2月2日の誕生日を迎え45歳(1950年生まれ)になっている。「もう引退する日付まで決めてある。」「最早肉体的には落ちるだけ、あとは気力の問題。」となるとこちらも来年3月までは出来る限り見に行ってみようと思っている。長崎の後はケンドー・ナガサキとの金網マッチまたは天龍・アニマル浜口対ケンドー・ナガサキ+NOW(川畑・三宅ほか)チームのハンディキャップマッチが予定されている10/11の札幌も行きたいのだが、あいにく10/8から10/10には新潟の三面川へ行くので早くも追っかけは挫折だ。

 天龍が(来年3月に限らず)引退したら、果たして今ほどのプロレスファンはしないだろう。今のプロレス界に追っかけてみたくなるほどのレスラーはいるだろうか。

 例えば、ターザン後藤。パワフルな試合、経歴、風貌には引かれるものがあるが、FMWに大仁田がいるうちはパスだ。逆に大仁田が引退してもしもFMWが下り坂になったら、おもしろくなるだろう。

 川田もおもしろいのだが、全日本にいるうちは箸にも棒にもかからない。これは橋本にもいえるのだけれども、全日と新日のレスラーはメジャーにいるだけでもう興味の対象外だ。かつては2つの団体だけが存在してそれぞれの団体内で、メジャーとマイナーに分かれていたのだが、いまではそのような「団体内」格付けは存在しなくなった。

 ほかのマイナーレスラーには「反社会人・高野拳磁」がいるけれども、わがまましほうだいでもう東京には上がるリングがないのではないか?やはり、団体は数多くでき、レスラーもやたらめたらに増えた(屋台村プロレスのレスラーなど誰がいるのかわからん)けれども、プロレスが本当におもしろかったのは80年代までだ。

 テレビ局がどう思っているのかは判らないが、10月からは新日の古いテープをレギュラーで流す番組が始まる。久しぶりにヴィデオテープを買い込む予定だ。

(1996年の補足:プロレスアンコールのことである。)

1994年9月13日
 おそらく現地での前評判よりも、日本でのそれの方が高かったであろう「アルティメット・ファイト3」はホイス、シャムロックの棄権もさることながら、優勝者がいきなり決勝に出てきた「代打」選手であったこともあり、違和感を残して終わってしまった。東京スポーツでの報道も「船木の視線」を中心にかかれた物が多く、当然批判的な見出しが目立つ。ただし、1日置いての記事では「船木、グレイシー柔術と技術交流へ」と題した記事もある。その中で、ホイス・グレイシーが「もう戦争はやめよう」と船木に語ったと言うものがあるが、今後のパンクラスとグレイシー一族の関係に興味がわく。

 同じく東京スポーツでは、次回第4回アルティメット・ファイトは12月16日にデンバーで行われるとして、グレイシー側がシャムロック、船木、デルーシア、ピーター・アーツ、ロブ・カーマン、アーネスト・オーネストなど日本でも著名な選手の招聘に向けて活動していることと同時に、UWFインターのダン・スバーンやリングスの山本に出場の意向がある(らしい)と報じた。さらには、WCWも参加を表明し、エリック・ビショップWCW社長はキング・ハクの出場を申し込んでいるとのことである。

 WCWの件が本当がどうかは別にして、WCWの出場候補がリック・フレアーやハルク・ホーガン、ベイダー、スティングと言った看板レスラーではなく、今の所「ボディーガード」と言ったマネージャ的な役割のキング・ハクであることは興味深い。キング・ハクのセメントでのパワーはよく噂されており、アルティメットへ送り込むプロ・レスラーとしては最適と言えるのではないか。詳報を待とう。

 全日本女子の話題を2つ、北斗も認めたキックの強さを誇った「WWWA世界格闘技チャンピオン」のバット吉永の引退が決定。ケイ椎を痛めていたのだが、復帰間近のエキシビジョンマッチで再度負傷して引退となった。全日本女子では北斗、山田、吉田と首の障害から復帰したものも多くいるが、消えて行くものもその何倍にもなるのだろう。

 負傷が絶えないながらも次期エースの座へ着々とレールを引いてもらっている長谷川が、今年の東京ドーム大会でパートタイムのマスクド・レスラーとしてデビューすることになった。これは少年漫画雑誌の連載と同期を取るような形で漫画の主人公となるレスラーを実際のリング上で演じることとなったものである。東京ドーム大会の後もビックマッチを中心にマスクをかぶって試合をするそうで、日本マット界にもムタ以来定着した変身レスラーとなるわけである。

 しかしながら、いままでこの手の変身レスラー企画が成功したためしがあっただろうか。一番ひどい例では金本タイガーマスクが挙げられるだろう。ムタにしろ、認知されるまではかなりの時間が必要であったし、アキラ(野上)などは記憶の枠の外へと去っている。パワー・ウォリアーはもう完全にパワーに徹しているし、ウルティモ・ドラゴンあたりではすでに浅井を知らないファンもかなりの数になっているはずだ。唯一の成功例はスーパー・ヒール・デビル雅美だろう。

 いまだむらのある試合をする長谷川が東京ドームという大会場でこの計画を成功させる確率はかなり低いとみているのだが……。

 明日14日深夜から18日まで岩手県北上川ツアーに出かける。当然リバー・ツーリングが主眼であるが、タイミングが合い、みちのくプロレスを初観戦できることとなった。あいにく日本列島は秋の長雨期間となり三陸沖に前線が停滞しているのでほとんどの時間雨に降られそうなのだが、楽しみである。


1994年9月24日
 全くパーソナルコンピュータは便利なもので、CD−ROMドライブへ放り込んだ音楽CDを聞きながら一太郎を使うことも出来るわけだ。「CDなぞ、PCを使わずにCDプレイヤで聞けばよい。」との声が挙がることも用意に想定できるが、一つのキーボードで全てが制御できる便利さはちょっと手放せない。

 さっそくに「アルティメット・ファイティング#3」を送ってくれてありがとう。即座に噂の男「キモ」を見た。ホイス対キモに限らず今回のアルティメットはレフェリがストップを掛けるのが早くなったように思える。前回の反省と言うことだろうか。さて、やはり今回のホイスは弱々しさが目立った。「一族最強の男『ヒクソン』」が方向性の違いを見せていることが影響しているのだろうか。横綱格のホイスが弱々しかっただけに、今までの2回に比べ、見所が少なかったように感じた次第だ。

 ホイスの実質的敗退にも十分驚いたのだが、もっと驚いたのが前田の失神TKOだ。おまけに全治6週間の「肋骨骨折」までおわされていたとは……。これだけ無様な敗戦をしてしまうと挽回するのはかなり苦しいのではないか。安生の高笑いが聞こえるようだ。

 別に前田のファンだと言うわけではないのだけれども、前田は「プロレスファンとしての同世代感(ワカル?)」をもてたレスラーだけに「これでまたプロレスファンの中心世代からずれて行く自分」を感じるはめとなった。

 先般の北上川リバーツーリングは想像以上に快適であった。初日こそ雨に降られたが、2日目以降は夏が戻ってきたような好天候となり、季節外れの日焼けまでしてしまった。増水した(上流のダムが放水を続けていた)川はすばらしいスピードを演出してくれた。さらにうれしいことにさすがはみちのくの大河と言うべきか魚影の濃いことには驚いた。上陸しようと岸辺へよれば2〜3センチの小魚が無数にはね回り、カヤックが通過した早瀬でもたくさんの魚が跳ねがある。よほどあわてたのかカヤックのデッキに乗り上げてしまった鮎さえいる始末。とにかくあれだけの魚を見たのは生まれて初めてと言ってもよかろう。

 陸上を行けば、ちょうど豊作となった稲の刈り入れ時期で、見渡す限りの田が黄金色となっている、そしてそれをおおう空の広さときたら、「日本にもこんなに広々とした景色があったんだ。」としみじみ思ってしまう。

 来月は新潟の山間部を流れる三面川へ行く。このカヤックツアー、当面は1月に1回のペースで行われる予定で、年末には南の島(与論etc)か四万十川に代表される「水の飲める川」を考えている。まだまだ日本を遊び尽くせない。

 北上川ツアーの余興としてみちのくプロレスを見てきた。ある村の商工会議所青年部の記念イベントのため入場無料。そのおかげか1600人もの入場者(主催者発表だがほぼ実数)となり、選手の動きも一段とさえていたようだ。

 しかしながら、初めて見たみちのくプロレスは、確かに観客の心をつかんでいるし、選手の動きも一流ではあるのだが、もう一度見に行くかと問われて素直に「行く」とはいえない感がある。ルチャ特有のあざとさにはちょっとついて行けない気がする。「動きは凄いがただ、それだけ」だ。それでも地元の人たちにとっては紛れもない希望の星のようで、メイン終了後のサスケのマイクデモに群がる人々にはなにか凄いものがある。

 サスケは10月の末に大仁田を招聘して「東北地方初の爆破マッチ」を行う。この興行の収入で長い東北の冬を越すわけだ。

 と、ここまで書いてから随分時間がたってしまった。全く季節柄外で遊ぶことが多いので忙しい。今週末(10月1日、2日)は久しぶりに完全OFFである。10月3日、4日は長崎へ阿修羅・原の引退3番勝負対天龍戦を見に行くし、10月8日から10日は新潟・三面川へ行くのでまた忙しい(このことはこの手紙にすでに書かれているかもしれないが、2週間も掛けて書いているので前半部分のことはほとんど忘れている)。

 昨日、手紙をもらった。一度料金不足で返送されてしまったやつだ。うちに置いてあるコンピュータセットは別紙写真の内容であるが(今年中に自分の撮った写真を*.BMP(など)にする体制を確立する予定だ。モデムはその後となる。もっとも、仕事がよりPCに近くなり、今後仕事としてPC通信やNETWAREのオフィシャル何とかのコースへ参加したりすることになっているので、計画が加速されることがあるかもしれない。別に自分の家にモデムがなくても(14.4KBPSのモデムだってそう大した値段ではないのだが一度の大量の資金を使うのは時節柄はばかられる)IDは取得できるわけで、めちゃくちゃな回線料を請求される羽目に陥らなければ職場のハードでプライベートな通信をしてもそれほど問題になることもあるまい。

(1996年の補足:時節柄って、どういう時節だったのか?自分でも思い出せない。)

 インターネットが「あっ」と言う間に日本の市場に入り込んできた。どのコンピュータ雑誌を見ても(すっかり事業システムでPCを使うことが普及したので、これまではホストコンピュータの記事のみだった日経コンピュータもいまではPCの記事や宣伝当たり前のように載っている)とりつかれたかのように記事を連発している。期間限定で首相官邸もインターネットサーバ(このように呼ぶのかどうか全く確信なしだが)を開いたりしている。もっとも、村山首相はつい先日生まれて初めてPCにさわってなにかのCD−ROMソフトをちょっとだけ動かしてみて「たいしたもんじゃのう。」とおっしゃったそうだ。相変わらず日本人はものをどのように使うか発想できない人が多いらしい。おまけにハードウエアが一番偉いと思っているから、世界を席巻したファミコンすら発売前には「ゲームしか出来ないものが売れる訳ない。」と反対した人も多いらしい(それ故にファミコンにはファミリーBASICが載っているとのことだ)。自分が仕事していてもそうなのだが、このフツーの人である私の意見でさえ、「変わった発想をする人ですね。」と言われてしまう。もっともそれは「あんたなんか問題外!」と言うことを別の表現で伝えているのかもしれないが:-)。

 で、日本のPC通信の現状はアメリカのそれに十分遅れているのは周知の事実で、最近の一番わかりやすい事例では、ゲートウエイ2000のエントリーモデル・ファミリーPCは日本とアメリカで微妙に構成が違う。日本版は(うろ覚えなので間違ったら間違いだ)DX33Mzに8MBメモリ、425MBHDDに1MBビデオメモリ、2×CDROM、14インチトリニトロンをつけてサウンドボード+スピーカ、いくつかのソフトウエアをつけて199K円。一方アメリカ版はSX33Mzに8MBメモリ、425MBHDDに1MBビデオメモリ、2×CDROM、14インチをつけてサウンドボード+スピーカ、いくつかのソフトウエアと、さらにFAXモデムをつけて14XXドルだったかな。別に値段の違いは今に始まったことではないので話をしてもしょうがないのだけれども、私が感心したのはFAXモデムの有無である。

 日本の人はコンピュータとか、ネットとかにいい知れない恐怖を感じている人がいるのではないかと思うくらい飛びつかない。でもまあ、今では歌舞伎町に「最新マッキントッシュ装備(広告より)」のCDROMボックスがあるのだから日本でPCがブレークする日も近い。

(1996年の補足:この店はあっけなく閉店した。)

 なお、ネットがらみの犯罪が一般紙で報道されることも増えた。最近ではミンザイ(睡眠薬)をネットで売っていた奴や、アプリの不正コピーをネットで売っていた奴がいた。一番凄かったのは、通信でつきあっていた女の子が「デジタル・キャラクタ」(私が勝手に言っているだけで一般にはなんと言うのかはしらん)だったと気づいたとたん、「キャラクタ・メーカ」の家に火をつけた奴がいた:-)(101キーボードを使っているので、2バイトスマイリーを作るのは大変だ)。

(1996年の補足:ネットおかまのことだと思われる。)
 日本を代表するAPソフトメーカ、ジャストシステムはなんでだかしらんがハードコアなPCユーザにバッシングされることが多い。一太郎5 FOR WinR2が重い?少なくともうちのマシンではWordPerfect5.2J4Winよりも高速に動いている。残念ながらWordやAmi−Proを長時間使ったことがないのだけれども、SX25のマシンでも問題になるような重さではなかったが?さらに言えば一太郎5 FOR JW2はジャストの製品のみ対応のウィンドウシステムではあるけれども、メモリさえ6MBほど用意してやれば286マシン(PC9801EX)でも十分に使えた(動いたじゃなくて、罫線だの、なんだのが随分と入ったシステム仕様書づくりで使えただ)。自慢じゃないけれども私は一太郎5の機能は随分と使っている(つまり、索引の作成だとか、ビジョンだとか、マクロだとか、サイドノートといった「論文作成機能」以外はきっちり使っているので、マシンに負荷を掛けなかったわけでもない。日本語Winが動かない286マシンでもそれなりのウインドウ環境を使える(ジャストの製品を終わらせなくても他社製品を使えるのは有り難い)おまけをつけてくれる(今じゃJW2の入った一太郎5の定価は25K円)のだから有り難いじゃないか。ATOK8だってつかったら、MS−IMEなんかはっきり言ってクソ以下だ(これは私だけの意見じゃないよ、マックユーザもことえりよりもATOK8だといっていた)。
(1996年の補足:このころはばりばりの一太郎派だった。いまではワープロソフトはほとんど使わなくなった。)

 10月中旬からは一太郎64Winのデモが全国展開される。ATOK9も出る。当面長文を作るのには一太郎を使うだろう。

 ちなみにパーソナル日本語TeXはPC9801シリーズ対応版しか広告が出ていないのだがPC−AT版はないのだろうか?

 話がちょっと戻るけれども、最近一太郎V3が復活したことはあまり知られていない、というよりも、私が勝手にそう思っているだけなのかもしれないがジャストが出したOM(オフィスマネージャ)2(カメラじゃない)にバンドルされているエディタが見た目も機能も一太郎V3にそっくりなのだ。ちょっと使ってみたい。

 8TO6.COM(ATOK8でATOK6のAPIをエミュレートする)にパッチをあてて一太郎V3を386マシンで使ったことがあるが、確かに速い。さらに、今更だけれどもV3のマニュアルを発見したのでよくよく読んでみたのだが、一般的なオフィス文書を作成する上で必要とされる次の機能が使えたので驚いた。

 足りないのは行間罫線と斜線、矢印くらいだろう。それでも、一太郎V4.3で行間罫線を使えるのを知らずに改行幅を圧縮して代用していたり、斜線が引けるとは思わずに後から手書きで書き入れたり、矢印にいたっては----→で実現している人がいるくらいだから、なくても問題ないと言えば言えなくもない。もっとも、一太郎V3ではキャノンのプリンタコマンドLIPSに対応していないので使わなくなったけれども。

 オフィスにおける一太郎の不当な評価(機能が足りないだとか、重いだとか)はPC文化がオフィスに入り込んできた頃の「ソフトはコピーして使う」風潮がもたらしたものだと思う。ソフトのコピーはあっと言う間に出来ても、マニュアルのコピーはそうはいかない(コピーしてた人もいたけれど)。いいとこナツメ社のハンディリファレンスシリーズだろう。

 なんだか、昔全日擁護やベータ擁護をしてた時みたいな感じがする。

 軽いワープロと言えばWinのおまけに入っているLite(綴りは違う)だろう。最近はPC争奪が厳しいので、Liteを使わざるを得ないことも多いが、割り切ればいいワープロだ。Win95のLiteはもはやLiteの表記が的外れになるくらい機能豊富らしいがちゃんとしたのは欲しい人は別に買うのだからLiteはWriteにならないでLiteのままでいて欲しいのだが。

 いま職場の先輩からOS2を一式借りてこのマシンでテストしてみようとしているのだが、SCSIインタフェースが一般的ではないNCRのオンボードSCSIだからなのかインストールできないでいる。シカゴが95年のクリスマスプレゼントとなってしまった今、OS2のチャンスなのだが、インストールがWinほどの簡単さでないとつらいものがある。

(1996年の補足:これはNCRのオンボードSCSIが原因ではなく、PCIのリビジンが1.Xだったことが原因だったようだ。このマザーボードは様々な障害を起こし、結局マザーボードを交換しなければ、まともに使えなかった。後日、データショウでこのマザーボードのメーカーのブースがあったので、台湾人の係りの方へ早口の日本語で文句を言い募ったら、きょとんとしてキーホルダーをくれた。恥ずかしいことをしたものだ。)

 OSと言えばトロンの仮想・実身モデルが真のマルティメディアらしいが、目に出来たことがない。アメリカ政府が教育用マシンにトロンを採用するのは非関税障壁であるなどと言い出さなければマイクロソフトの一人勝ちにはならなかったような気もするが、MSが標準となったおかげで安価にいろいろ楽しめるのも実際なので何ともなんともだ。

 さて、プロレスに話題を戻す。と打ったが、今、前の方を見たらちっともプロレスの話題はなかった。

 最近の話題と言えばWARの内紛?だ。石川がWARを離脱するなどとは誰が想像しただろう。石川と言えばWARの旗揚げ2連戦で阿修羅、北原をマットに沈め一躍#2におどりでた(阿修羅を倒した時の「阿修羅、今日はなんの日だ。天龍の一番大切な日だろう。体調を整えてこい!」には会場に詰めかけた1800人を感動させたものだ)のみならず、ドームのセミをつとめたり、タッグマッチとは言え藤波をフォールしたりとWAR初期を支えた人材だ。アクシデントで脱臼してからは華々しい活躍はなかったものの、天龍と石川の間にこのような問題が生じるとは考えもつかないものだった。

 WARの社長となった天龍の義弟、武井氏がレスラーたちと一部分で意見の相違を見せているらしいことは会場でチラと耳にしたことはあったが、ここまでとは……。維新力も9月29日付で引退したが、今後何らかの形で復帰してもおかしくない状況となってしまった。

 今回の石川離脱は、はじめの頃は天龍、石川双方納得の上で、さらには「石川は新しい団体のエースとして、天龍WARと対戦する」との構想も言われていただけに、むしろ好意的な見方もできていたのだが、武井社長が「もし、天龍が石川とやると言うのならば私が社長を辞める。天龍対石川は絶対にやらせない。」などと無粋ないことを言い出すに及び、今回の離脱もこれまで多くあったものと大した違いはないらしいことが明るみに出てしまった。天龍がSWSへ移ったときも、はじめの内は「円満退社」「ゆくゆくは天龍部屋と全日の対抗戦」なる話があったのだが、週刊プロレスの妙な横槍で話がこじれてしまった。今回も、たとえ、現場では様々なやりとりがあったにしろ、ゆくゆくは「石川は新しい団体のエースとして、天龍WARと対戦する」とだけ言っておいて、後は黙っておけばダメージを最小限に押さえられたはずと思うのは私だけではあるまい。

 石川の話では同調者が7から8人とのことなのだが、29日のWARにはとりあえずレスラーがそろった。新弟子の姿もあったし、石川ラインで参戦している相撲軍団もWAR参戦を続けるようだ。

(1996年の補足:相撲軍団は東京プロレスへ移った。)

 石川の言う7から8人とは平成維震軍のような気がしてならない。平成維震軍の勢いはかなりのものとの噂で、年内にNKホールを2回、名古屋の大会場も押さえているとのこと、当初10月中に旗揚げする予定であったものが、11月に延期となったのもの石川の行動を待ってのことではないか。石川はWAR旗揚げ線でカブキに対し「一緒にやろう」と口走ってしまった前歴もあることだし:-)。

 この方向であれば、平成維震軍とWARの抗争再開がかなり確実視されている今のマット界で十分に納得行く話だったのだが、武井社長の発言でこれも崩れてしまった。

 いずれにせよ、石川一人がエースとして団体を回していけるほど今のマット界は優しくない。ユニオンは寺西を復帰させ、IWAにしたって、とんでもなく危険なデスマッチでようやく客を入れているような段階、新格闘プロもどうやら今までの路線を放棄してなりふり構わずやるようだ。

 WARにしても事情は大差なく、今年2回の国技館大会は大仁田の協力があって超満員としたものの、12月の国技館はどうなるか。天龍対北尾または天龍対ナガサキの金網だけでは苦しかろう(私は当初予定されていた札幌での天龍対ナガサキが流れたことで、国技館側が同所での金網デスマッチを許可し12月に天龍対ナガサキの金網をやるのではと踏んでいる(北尾は10月札幌で北原と対戦し、国技館はアニマル浜口と対戦か)。天龍対北尾は来年の3月となるだろう、そしてこれが「とにかく来年3月までは突っ走る」と言った天龍の引退試合かもしれない。

(1996年の補足:この予想も外れ。天龍 対 北尾戦が行われた。)
 天龍が抜けた後のWARが団体として存続することはあるまい。ドラゴンはメキシコがメインの人間だから帰るだろうし、北原、折原ならば十分にフリーのレスラーとしてマット界をわたって行けるだろう。問題は冬木だ。

 冬木の力はかなりのものがあるが、問題はセンスだ。ヒールとして方向を決めたところまではそのセンスを評価もしていたのだが、29日のかみきりマッチでの対応はいただけない。

 試合は陶然と言うべきか天龍のパワーボムで決着した。事前のルールでは冬木敗戦の場合には邪道または外道が代わりに髪を切ることとなっていたのだが、かつてアントニオ猪木に負けた国際軍団のように3人そろって控え室にこもってしまった。最終的には暴動寸前の雰囲気を漂わせた観客に負けてリングに再登場して邪道、外道の髪を一部分切ってお茶を濁したのだが、東京スポーツには「冬木はリングネームを、邪道、外道を引き連れる『暴道』とでもしたらよかろう。」などと書かれてしまった(これはこれで東スポのヒットだ)。

 今回の冬木の対応は彼のセンス欠如を物語る一番の出来事だ。天龍は試合終了後すぐに「(髪を切るのが)邪道か外道か決めろ、隅田川に飛び込んでもいいぞ。」と重大なサジェスチョンを与えていたのにだ。

 もし、冬木(または邪道・外道)が髪を切らずとも隅田川に飛び込んでいたらと思うと、つくづく彼らはチャンスを逃したと思う。折しも巨大な台風が紀伊半島に上陸した影響で隅田川は増水している。この隅田川に飛び込んだら、観客が29日の試合に対して持ったイメージは「冬木の負け」の何倍も濃厚な「隅田川入水」と「そんなことを平気でするはちゃめちゃな奴」となって、真に客をつかめるヒールとなったのにである。

(1996年の補足:無茶苦茶な話。死んでしまう。)

 もっとも、冬木は最近の風評を聞くと、私生活でもヒールらしいから所詮それまでの奴なのかもしれない。キュートな嫁に金がかかるといううわさも聞いていたが、勝手にしたらよかろう。そういえばマシーンはどうしたのだろうか?ケガが癒えたら帰ってくるのだろうか。

 さて、10月14日にはうちから車で20分ほどのところでIWAが興行を打つ。行こうかなとも思うし、どうでもいいやとも思う。当日の行動如何で今後のレスリングファンとしてのスタンスが決まるような気がする。天龍の引退がごくごく間近であることは紛れもない事実である。そして、引退後自分が今日的なレスリングファンでいられるかは全くの所疑わしい。

 そういえば、天龍が出場しない興行を確乎たるレスリングファンとしての意識を持って観戦しにいったのは、最後いつだろうか?今年見た天龍なし興行は記憶に残っているところで、PWC後楽園、北尾道場旗揚げ後楽園、隣町となる流山でのユニオン、入場無料だったみちのくこれだけだ。

 自宅のPC環境整備は来るべき「記憶を反芻するレスリングファン」時代を迎えるための本能的準備なのかもしれない。となると、私にとってのマルティメディアは牛の胃袋のようなものなのだろうか(変な落ちだ)。


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