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しかし思い付きで飛び出したにしては少しばかりハードだった。三鷹→所沢→川越→熊谷→深谷(付け加えておくと、深谷というのはあの100キロハイクの出発点、本庄市のとなりの町である。)というルートで向かったのだが、川越、熊谷間の風景の異様さ。道は畑の中の幅広い直線、通るのはトラックばかり、午前10時だというのに人には全く会わないし、自販機さえもごくたまにしか見付けられない。全く都会育ちの私には信じられない光景だった。肉体的によりも精神的に疲れた。(とは言うものの肉体的にも足の筋肉が強張ったことが数度ありましたけど。)
こんな具合だったので、たかだか地方都市と言えども熊谷にたどり着いたときにはほっとした。熊谷はダンプ松本の出身地、2月末の引退興行のポスターが数多く見られたのに対し、全日のポスターを見付けるには更にもうしばらくペダルをこがなければならなかった。これを見付け出すまでは『もしかしたら深谷というのは別の場所にあるのでは。』などといらぬ心配までしてしまった。なお、1月の新日のシリーズのポスターも散見され、それには 『日本でただ一人だけの女性プロモータ』などというキャッチが付けられていた。
朝の7時に出発し深谷市に着いたのが正午。会場の体育館の場所はまだ分からなっかたので取りあえす駅前へ、昼食を採ろうと思ったのだが、お世辞にも駅前とは思えない。いきなり駅の正面にバラックの飲屋があり大きな店と言えばキンカ堂しかなかった。最も駅前は工事中だったので今頃は良くなっているのだろう。
当日券を手に開場を待つ。レスラーたちがやって来る。一跳びすれば延髄斬りをかけられそうな所を全員が通る。スタンはにこにこ、ゴディはひざが随分と悪いのだろうすごくゆっくりと歩いて来る。地方のかわいい女子高生が渕にプレゼントを渡してすごく喜んでいた。地元の不良高校生は『後楽園ホールへ行くのが通だ。』などと会話している。やはりこの辺のプロレスファンにとり生のレスラーに触れる機会は凄く少ないんだなと感じ、東京に住んでいる幸運を思った。
体育館はどこにでもありそうなもの。立ち見の場所に立ち、地元民の会話に耳を傾けるのは楽しい行為。やはり誰にも特別の日らしい。そんなことをしながら周りの人のパンフの試合組み合わせをのぞき見る。なんと、天龍・原対タイガー・仲野が組まれている。ウームさすが自転車で5時間かけて来たかいがあった。全般になかなかのラインupだ。
大いにマニア受けするであろう、高野対元新日留学生イヤウケア。イヤウケアは様子は良いのだけれども。川田・冬木対石川・大熊も見ごたえがあった。特に大熊が後楽園ホールあたりで見るのとは違い、押えぎみな中に力強さを感じさせる試合を見せてくれた。大熊は負けた試合の方が余計なシーンが少なくて好感が持てるようだ。無論、川田、冬木そして石川も大会場と変わらぬ熱戦を見せてくれた。
開幕戦の後楽園ホールで絶大な支持を受けたマレンコBROS.が地方会場のここ深谷でどういった試合を展開し、また観客がどのように反応するかである。暗い体育館、だけれども嬉しいことにマットはブルーの単色。やはりマレンコBROS.にはこのほうが似合う。試合開始後間もなくマレンコ(残念ながら、この時点ではジョーとディーンの区別がつかなかった。)のドロップキックが飛び出した。後楽園ホールでの試合からでは想像もつかなかっただけに、いささか驚いた。悲しいかな『やはり、このくらいはやれとクレームがついたか。』などと考えてしまった。なお、試合後半にはジョーが渕のツームストン・ドライバー(これをツームストン・パイルドライバーと言うのは誤りであると私は思っている。)を切り返して実行するというシーンでもこう考えてしまった。しかし大半の時間はグランドでの関節技攻撃(攻防ではない。)Jr.チャンプの渕、そしてマットの魔術師寺西をいいように痛ぶった。しかし予想どうりというか観客は一声も発しない。暗いマット上での動きに注がれる唯一の声は、体育館2階の控室入り口付近で試合を見ていた石川敬士の『Come On Champ』との声だけ。この様子ではこの先のマレンコBROS.が案じられた。(この心配は横浜、そして君津で現実のものとなった。)
ジェリー・オーツのうまさを十二分に楽しんだ後、馬場組対木村組。リング上よりも2階でこれを見ていたマレンコBROS.が気になった。残念ながら暗くて表情はよく分からなかった。
ついにやって来た本日のメイン・イヴェント(おっと、これは私にとってであり実際ではない。)天龍・原対タイガー・仲野。この試合昨年(1987年)の10月に熊本で初めて実現して、ワクワクしながらテレビ観戦した訳であるが、まさかこの試合が生で見られるとは思わなかった。いかのめんたいこいっぱいである。
天龍の水平打ちが館内をふるわせる。信じられぬ程のド迫力。これが地方会場での天龍か、本当に来て良かった。当然観客もこの日一番の盛り上がり。開場前『天龍がワルモンになったんだろ。』と的外れなことを言っていた地元少年にも、天龍の『地方だからこそ』との思いはきっと伝わったことだろう。全く天龍・原に関しては大会場も地方の小会場もない。むしろ狭い分より迫力を体感できて小会場の方が楽しめるかもしれない。
天龍・原の猛攻に対しタイガー・仲野も黙っていない。熊本での対戦のときよりも格段の進歩で反撃する。開幕戦でマレンコBROS.に不覚にも敗れたとは言え、このティームは素晴らしい。少しも臆する事ない。
結局この大熱戦を締めくくったのは原のパワーボム、16分17秒。この16分17秒は自転車での5時間を全て埋めてくれた。本当に来て良かった。どうもありがとう。
メイン・イヴェントが終了し人々は家路についた。そして私も今日の素晴らしい天龍・原対タイガー・仲野戦を何度も反芻しながらペダルを漕ぎ出した。」
長ねぎ畑の向こう側のリング
1988年2月22日 全日本プロレス 深谷市大会 観戦記
(1996年の補足:これが始めての地方会場観戦であった。片道約100kmを往復した帰り道で、大宮スケートセンターの前を通り「これが有名な・・・。」と余計な感動をしたことを覚えている。初出はかつて所属したサークルの機関誌「ファイター・スーパー・スープレックス」である)
「元々地方会場での天龍の試合を一度は見てみたかったのではあるが、それは良いとして、何故あんな埼玉と群馬の県境まで自転車でえっちらおっちら行ったのかなどは、今となっては本人でさえはっきりとしないが、大方『天龍があれだけ云々。』だの『こうした暴挙こそ私のアイデンティティだ。』などという思い付きで、つい飛び出してしまったというところが関の山だろう。
(1996年の補足:当時の全日本プロレスはテレビマッチで、青と赤の2色に塗り分けられたマットを使っていた。)
(1996年の補足:「いかのめんたいこいっぱいである」今では何の意味か分からない。何から引用したのだろうか。)
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