拾遺レスリングハイトップページへ戻る
遥かな道を越えて【ギラドラス】
1988年3月10日 全日本プロレス エキサイトシリーズ 君津市民体育館大会 観戦記
(1997年の補足:ペンネームの由来は語るまでもなく、ウルトラセブンに登場した怪獣ギラドラス。シャプレー星人がウルトニウム採掘のために使った怪獣だ。ところで、マスクと上半身のコスチュームをつけた『神風』はこのシャプレー星人に似てはいないか?。)
大試合の翌日の試合には思い入れがあった。1985年2月21日大阪城ホール、最初の天龍対長州戦。そしてその翌日後楽園ホールでのエキサイティングウォーズの開幕戦がテレビ中継された。そのときの天龍組対長州組の6人タッグ、前の晩、激闘を繰り広げた男達のどうしても隠しきれない疲れ。「ウム、昨日の大阪は凄い試合だったのだな。」と自分に見ることのできなかった試合を想像させた。このときの印象が3.9横浜での天龍対ハンセン戦を見終わったときフラッシュバックしてきた。「君津へ……」
(1997年の補足:3.9横浜での天龍対ハンセン戦。この試合は直前に秋田で行われたTVマッチ天龍・阿修羅原対ハンセン・ゴディ戦で、ハンセンが龍原砲の延髄斬り挟撃に失神した一件を発端としてマット界の歴史に残るタフマッチとなった。このころ、全日本プロレス中継は土曜日19時から生中継されておりスタンの失神と意識を取り戻した後の大暴れはとてつもないインパクトをレスリングファンに与えた。)
第1試合
15分1本勝負
百田(10分28秒・体固め)小橋
バックドロップで新人料理
|
第2試合
タッグマッチ
20分1本勝負
高木・マイティー井上
(時間切れ引き分け)
永源・大熊
フルに動き回って20分が経過
|
第3試合
20分1本勝負
田上(9分42秒・片エビ固め)イヤウケア
ブロックバスターが爆発した
|
第4試合
タッグマッチ
20分1本勝負
○渕・寺西
(11分39秒・エビ固め)
×ディーンマレンコ・ジョーマレンコ
しっかり押さえ込んで3カウント
|
第5試合
30分1本勝負
高野(9分8秒・体固め)ディートン
|
第6試合
タッグマッチ
30分1本勝負
○タイガーマスク・馬場
(9分8秒・体固め)
×鶴見・木村
しっかり押さえ込んで3カウント
|
第7試合
6人タッグマッチ
45分1本勝負
原・▲冬木・川田
(20分6秒・両軍リングアウト)
仲野・▲石川・カブキ
親分抜きの天龍同盟が苦戦
|
第8試合
6人タッグマッチ
60分1本勝負
○鶴田・谷津・テンタ
(16分24秒・体固め)
ハンセン・ゴディ・×オーツ
|
|
東京スポーツから引用・改変
|
原付バイクを走らせること数時間、特に千葉市を越えてからの片側3車線の直線路をひたすらに進むことはなかなかに爽快。5時間走った。
富津岬へ行くなどして会場時間を待つ。さすがに「男女7人秋物語」などで有名な木更津市の隣だけあってどこかの長ねぎ畑よりは都会であった。市民体育館の場所を尋ねに行った市役所は9階建ての立派なもの。それと同じく広い敷地の中の体育館も立派なものだった。
(1997年の補足:どこかのながねぎ畑とは深谷市のこと。このシリーズの深谷大会観戦記を同じファンジンに掲載していた。)
体育館に着いたすぐ後に天龍欠場の張り紙がされた。昨晩の試合を見ていない君津市の人はどう思ったかは知らないが、自分は一人感慨にふけっていた。何かこの告知を知るためだけに120kmの道を来たような気がした。すっかり自分の世界にひたりこんでいる私の横でゴング誌のであろうかカメラマンが地元の中学生数名に演技指導を行いこの張り紙の写真を撮っていた。
試合組み合わせは右の通り、注目すべきは天龍同盟結成以来初めて会場に天龍のいない原、冬木、川田3人の戦い方と昨晩の横浜大会で高木、田上のグリーンボーイズに敗れたマレンコBROS.おあつらえ向きに深谷大会と同じ対戦相手の渕と寺西が相手。
スポットライトを設置せずに通常の照明だけというなにかおかしな光景のなかで試合は消化されて行く。リング上は地方会場のイメージ通りの展開、明るいためか観客の注意力はすこぶる散漫。シリーズ終盤戦だからなのだろうか。
(1997年の補足:このころ、シリーズを組むことができる男子プロレス団体は新日本プロレスと全日本プロレスのみ。両団体とも地方会場用照明機材を持っており、天井が高いため設置が困難などの理由がある場合は以外はそれなりの照明が行われており、「スポットライトなし」で行われる回数は少なかった。そのため、僕はこの会場で初めて「スポットライトなし」を体験することとなった。この後、FMWなど照明機材を持たずにロードを組む団体が発生し、むしろ「スポットライトなし」が地方会場では一般的になった。)
マレンコBROS.、渕、寺西が登場する。リングアナのコールに答えるマレンコBROS.を見てガッカリした。開幕戦でのあのシャキッとした感じはまるでなくダレッとしている。試合開始早々に渕が場外戦をしかけた。相手の頭を持ち体育館の壁にぶつける。なにをされてもされるがまま。技らしい技も出さずにマレンコBROS.はシレッとしたまま敗れ、リングを去った。
(1997年の補足:マレンコBROS.はこのシリーズが全日本マット初参加。旧UWFマットに上がったジョーソルコフ(ジョーマレンコの別名)が全日本に上がることで、レスリングファンの注目を集めた。マレンコBROS.は開幕戦の後楽園ホールでは切れの鋭い関節技を公開したが、日を追うごとに切れを失っていった。これで、マレンコBROS.の全日マット再登場はないかと思われたが、スタイルを全日マット向けに再調整したマレンコBROS.は、その後重用されることとなり、後楽園ホールで行われたブリティッスブルドックスとの試合は全日マット史に残る一戦となった。)
|
|
▲結局持ち帰った天龍欠場を告知する張り紙
|
原・冬木・川田に対するのはカブキ・石川・仲野の3人、ベストの組み合わせだ。天龍がいなくとも6人それぞれがベストをつくす。最後の両軍リングアウトへのなだれこみ方は少しばかり難クセをつけることができたとしても、及第点以上のファイトだった。天龍の精神は確実に浸透している。
メインの最中、立ち見席が取り払われた。体育館の使用許可時間の終了が近づいてきたためらしく試合中にどんどん空いているイスが取り除かれていった。ザワザワとしたなかで試合が進む。最早ただこなしているといった感だ。オーツがゴディとタッチをしてコーナーに戻るとスタンがオーツをねぎらった。オーツに対しての馬場のテレビ解説にしろ、試合後握手を求めた横浜でのカブキにしろオーツに対するレスラーの態度には興味深いものがある。
いかにも地方会場向けと言った鶴田のバックドロップで君津大会の幕は閉じた。自分はポスターをはがす地元少年達に混じって、天龍欠場を知らせる張り紙をDパックに詰めた。死闘の後の欠場を自ら確かめたことに対する奇妙な満足感と供に自分は体育館を後にした。
暗い道を東京めざし、ひた走る自分をレスラーのバスが追い抜いていった。
拾遺レスリングハイトップページへ戻る
レスリングハイ タイトルページへ戻る