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1988年4月24日 ジャパン女子プロレス エンドレスファイト オブ ジュニア最終戦 八王子総合卸売市場大会 観戦記
八王子総合卸売りセンター。その名称をJWPの日程表に見つけたとき、深谷や君津に比べたらものの数ではないなと思った。野外会場での観戦はもちろん、JWPを生で見たこともなかったし、なにより自分は思いつきで行動することが多い。
4月24日、前夜の夜遊びのためか、目が覚めたときはもう11時30分だった。試合開始は13時のはず。「チッ、寝過ごしたか。」少しばかり自分自身に文句を言いながら原付をスタートさせた。地図だけを頼りに行く。ようやくそれらしいものを見つけたのに、周辺にはJWPのポスターが一枚もない。「JWPのこと、もしや中止では。」不安な気持ち。こんなことならば電話でもして確かめておくんだった。
やっと見つけた特設会場。予想以上に観客はいる。13時にほんの少し余して会場に入り、パンフを買う。全日本プロレスのそれと同じ値段とはとても思えぬものだが、明るい日差しの中にあるまぶしいリングはウキウキとさせてくれて、そんなことを忘れさせてくれる。リングを上にはツバメがとびかう。
穂積詩子は八王子出身。チケットにも「八王子出身 穂積詩子初出場!!」と大きく印字してある。その関係で観客は地元政治家数名の話を15分もの間聞かされた。それぞれ腹の内ではどう思っているのだかは知る由もないが、一応の挨拶をしていた。
JWPの試合は全日女子に比べて、もっとも全日女子も生観戦は一度しかしたことがないのだが、オーソドックスさを保ち好感が持てる。観客も派手なコールなどは起こさないものの、素直に楽しんでいる。途中から地元のオカマが5人ほど来て自分の前に座る。全く絵に描いたようなオカマ達だった。連中後で風間にリング上で花束を渡していた。
プラム麻里子。自分の個人的趣味にかなう。この日は件の穂積と組んでの6人タッグなので引き立てにまわる。試合中エプロンの4選手がリング内の二人にかける声は昼下がりの明るさも手伝いプロレスと言うにはあまりに健康的だ。
村とムーン章子のパワー合戦にしろ、尾崎、剣のヒールぶりにしろ、あまりに日頃の評価は低すぎやしないだろうか。これだけのものをとても創立2年の団体が見せてくれているとは思えない。
メインイベントはミスA、ハレー斉藤対ウィッチウォリアー、イーグル沢井。後楽園ホールでやってもおかしくないカード。少し前からパラパラと降り出した雨のためにか頻繁な場外戦の合間に新人がリング上を拭く。
およそ外人女子プロレスラーと言えばとても日本では通用しないようなイメージが強いが、ウィッチウォリアーは筋金入り。他の3選手をひっぱり試合を進行させて行く。ただし、他の3選手に力がないわけではない。ミスAにしろハレー斉藤にしろJWPのトップレスラーである。全日本女子へ行っても通用するだろう選手である。それほどにウィッチウォリアーは良い。彼女を日本へ呼んだものに感謝したい。
試合は場外乱闘のうちに終了した。ウィッチウォリアーとミスAはおそらくそれ1台しかないであろうバスの中にまで乱闘を持っていった。バスがゆれた。
JWPが解散の危機。あの週刊プロレスの記事を目にしたのは数日後だった。
「春になれば啼きながら必ず帰ってくるあの燕さえも、なにかの拍子にぷっつり帰ってこなくなることもあるんだぜ、さくら。」
ツバメとびかう日に【ペロリンガ知里】
(1997年の補足:ペンネームの由来は語るまでもなく、ウルトラセブンに登場したペロリンガ星人。こんなのばっかりですね。なお、文中にある「JWP」はジャパン女子プロレスの略称であり、現存するJWPではない。)
初めてTVK(テレビ神奈川)で彼女たちの試合を見たとき、それは創立間もない頃の太平洋タッグ戦、ミスA、ソチ浜田対モンスターリッパー、エステルモレノだったのだが、とてもガッカリした。そこには、週刊誌のグラビアで見ていた彼女たちの迫力はまるでなく、正直これはひどいと思った。その翌週放送の風間ルミ対ザ・スナイパーのジュニアタイトル戦にしろ、全員参加のバトルロイヤルにしろ同じだった。その自分をグッと引きつけたのが何週目にか放送されたミスA、ソチ浜田対剣舞子、イーグル沢井の太平洋タッグ戦だった。前出の太平洋タッグ戦から1年半経っているのだが、その間の格段の進歩を自分に見せてくれた。決して恵まれているとはいえぬJWPだが、精一杯努力してここまで来た。そんな彼女たちにすっかり引きつけられてしまった。
▲当日の観客はぼちぼちと言ったところ。
▲プラム麻里子のコスチュームは当時ちょっとした話題になったりした。
▲剣舞子と尾崎魔弓。剣がレスラーを続けていられれば、今でも、きっと僕を魅了し続けていたに違いない。
▲所属レスラー総出で乱闘の整理。中央に立つのはエデン馬渕。得意技はDDTだった。
(1997年の補足:危機は報じられたが、JWPは乗り切った。JWPが解散したのはもっとずっと後のことである。)
(1997年の補足:「春になれば……」映画「男はつらいよ」で車寅次郎が口にするせりふの引用。このころ周辺では「男はつらいよ」がはやっており、せりふなどの引用がしばしば行われた。)
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