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翌日、僕は北へ向かって出発した。思いは遥か10キロ北へと飛んで行き異常な冷夏に「寒い寒い。」と震えていた。
野島興業前グランドと言えば大層聞こえはよろしいが、今だ郊外へ行けば見ることのできる単なる草原だった。雨上がりということもあって靴は泥まみれ。
チケット売り場で新日女子社員の「指定席もありますよ。」という誘惑光線をスペルゲン反射板で跳ね返し、中へ入る。やや、あれに見ゆるは坂口ではないか。しかも両の腕にはダンベルが。坂口と言えば、ゴングでは『久々のハードトレ』と書かれ、藤波は退陣を迫っていると聞くし、物まねバトルロイヤルで彼をまねした前田はすかしたニーアッタクをしたし、坂口のような太い腕が欲しいと腕立て伏せをしていた若き日の鶴田友美にこれまた今より若かった大熊は『腕が太いだけで坂口は何もできん、ウチの馬場さんを見ろ。』と言ったという噂があるぐらいに、もう坂口なのである。しばらくすると今度はベンチをやりだした。近くで見る彼の腹は凄い。腹筋が盛り上がっているのだ。やはりこれは一度手抜きなしでベイダーと対戦しなければいけない。
但しだ、この日坂口は出場しなかった。してみると医者かなにかに一日の必要最低運動量が決められていて試合のない日にはこうしてトレーニングをするのかもしれない。
この日の盛況ぶりを見るとあながちプロレス人気が落ち込んでいるとは思えない。単なる草原でこれなのだから儲かっているだろう。ところでプレイガイドなどで前売り券を求めると座席表で「ここの席です。」などとやってくれるのだけれども、この会場のような所ではどうなのだろうか。こんなところでも「ウーム、コーナーがじゃまだな。じゃ、いいです。」などと言って数件の前売り所をはしごする者がいたらなんとなく笑える。
マリスカル、結局途中で帰国してしまい評価も良くなかった彼だけれどもこの日の越中との一戦はおもしろかった。一緒に見ていた葉谷津谷拓章氏(仮名)は「ジャーマンぐらいやれ。」と不満そうであった。
週刊プロレスが『会場人気をさらう。』と書いたコキーナだけれども、この日はすっかり控室人気をさらっていた。なんたって後藤をスクワッシュしようとロープへとんだとたんに見ていた新日の選手は全員で大笑い。そしてそれはスクワッシュの瞬間に頂点に達したのだった。あれがいったい何であったかはいまだもって分からない。キューティー鈴木に「ケイフェイ」と言われたら考えるのを止めるけれど。
猪木が欠場の挨拶をしてその人気を見せ付けるとともに野島興業の社長に「朝霞大会開催に云々。」と言う感謝状を贈った。きっと明日から社長席の後ろにこの『代表取締役・アントニオ猪木』と入った感謝状が額に飾られてかけられたことでしょう。
藤波と藤原が組んで出て来た。そして帰った。それだけだった。「ウォー凄い。」と思うようなこともなく、確かにドラゴン’ワンハンド’バックブリーカーから飛竜裸絞めでしめくくるという得意の連係だったのだけれども、天龍はパワーボムで地方でも対戦相手と女の子を跳びはねさせるのに、藤波のドラゴン’ワンハンド’バックブリーカーは、見栄えが悪すぎる。せいぜい僕らに「きたきた。」と言わせるだけだ。でもドラゴン’チトサンタナ’エルボーアタックは好きだ。そうそう飛竜革命は天龍革命とは考え方が違うようだし、横浜後とは雖藤波に『俺がエースだ。』的な気合は感じられなかった。
結局この日一番印象深かったのは若松抜きのガスパーズだった。今思えばこのシリーズ限りということもあったのだろうけれどもさすが中身は実力者、淡々としたファイトに好感を持ってしまった。その対戦相手の3人、長州、マシン、小林、この試合のときだけはずうずしく空いていた2列目に座っていたからと言う訳でもないだろうが「きちんとやってるな。」という感じの試合だった。『長州は全てなげやり。』と書いたのは週刊プロレスだったけれども、取材拒否に対する僻みとも取れなくはない。
『年に一度は生で見なくちゃ。』と言い合っている土地の人はいたけれども「やはり地方だな。」との感は否めない新日を見て、同行した新日ファンの葉谷津谷拓章氏(仮名)はどう思っているのかなどはまるでおかまいなしに、全日ファンの僕はひそかに「勝った。」と思ったのは偽りのないところである。
北へ帰れ
1988年8月28日 新日本プロレス 朝霞野島興行前グランド大会 観戦記
(1996年の補足:「北へ帰れ」。「ウルトラセブン」からのいただきである。当時、三鷹に住んでいたから、平塚は概ね南だし、朝霞は概ね北である。)
確かに平塚には行った。そこでポスターも見つけた。けれども会場が見付からないうちに6時半は過ぎた。最早自分の中の諦め心が耳元でささやいた。「北へ還ろう。」
(1996年の補足:前日、平塚・平果青果市場へ全日本を観戦に出かけたのだが、会場を見つけられなかった。)
(1996年の補足:Junk Yardを参照。)
(1996年の補足:葉谷津谷拓章氏(仮名)。サークルの先輩である。)
(1996年の補足:キューティー鈴木に「ケイフェイ」と。デビューしたてのキューティーが控え室で「ケイフェイ」と口走ったとの噂があった。)
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