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そんなキューティーの所属するジャパン女子プロレス(JWP)が埼玉県本庄市で興業を行うと聞いたとき正直「何て無謀な。」と思った。今プロレス界は「冬の時代」と呼ばれるほどに観客動員数が落ち込んでいる。ましてJWPはその弱体ぶり故にかえってマニア受けしてしまうほどの団体なのである。きっと当日の観客は100人、いや50人にも満たないかもしれない。そう考えるとこれはかえってチャンスかもしれない。何のチャンスであるかと言えばそれはいうまでもなく、キューティー鈴木のうんとそばに近寄ること。定打ち会場とも言える水道橋の後楽園ホールででもそういうことができないではないが、衆人監視の中でそんなことをするのは僕の美意識が許さない。けれども本庄でならば・・・・・・。そこまで考えたときには既に休暇届けはすっかり書き上がっていた。
毎年春も半ばになるとここを起点として「100キロハイク」が行われるだけあって、本庄は車で4時間もかかった。会場となる体育館の近くのコンビニエンスストアの駐車場にJWPの宣伝カーが停めてあった。中を覗くとなんと社員とおぼしき者が寝ているではないか。「キューティーが体を張ってファイトしているというのに。」と思わず二世タレントのような行動をとろうとしてしまう自分を押えるのに一苦労した。この団体の営業陣の怠慢ぶりはつとに有名で実際この日も会場周辺でさえ宣伝ポスターを見付けることは殆どできなかった。「きっといつか僕がキューティーのことを有名にしてあげるんだ。」との誓いも堅くグイッと拳を握るのはこんなときである。
かの力道山はイメージとしてのプロレスラーを大切にし、敢えて記者の前でグラスを食べて見せたりしてプロレスラーの頑強さを示したと言われるが、JWPの女の子たちにはそんなことは関係無いようだ。試合開始3時間前の会場周辺にはトレーニングウエア姿の彼女達が手に手にスーパーマーケットのビニル袋を持ち三々五々歩いていた。何故かどの選手も焼鳥を買っていたことをチェックするぐらいはマニアとして当然の務めである。しかしみんな「JWPはいつまでもつのかしら。」とか「今日はどのくらいのお客さんが見に来てくれるのかしら。」などといった悩みなど爪の先ほども見せずに陽気である。メデタイ。キューティーはまだ会場入りしていないようだった。それなりに幹部待遇である。
それから2時間後、幸運にも僕はタクシーから降りて来るキューティーを目撃したのだ。しかしミスA,ハレー斎藤、伊藤勇気に続いて降りて来たキューティーを見た僕は思わず息を飲んだ。すっかり痩せてしまっている。暗いところで見るからか、目の周りには隈さえできている。キューティーといえばそのファンはみんな彼女のはちきれんばかりの健康美にひかれていたのに。このシリーズの前にフィリピンへイメージビデオの撮影へ行ったというけれどもそこできっと怪しげな風体のビデオ監督、こういう奴に限ってはえそろわない口髭なんか延ばしていたりするんだが、こいつがへらへら笑いながら『もうちょっとダイエットしようね。』とか何とか言うとキューティーは『はいっ。』とか言って、あの娘素直だもんなぁ。無理したんだろうなぁ。かわいそうだなぁ。それにしても許せないのはビデオ監督の野郎だ。うーん。」「ちょっと、お客さん、お客さん。」なんてこったい、気がついたら目の前にいるのはキューティーじゃなくてもぎりのあんちゃんだ。
第一試合はデビュー戦。そしてその試合内容はいかにもこの団体の実情をあらわすものだった。かつてのプロレスであればいわゆる前座試合とメインイベンターの試合の間には、暗黙の了解によって厳格な区別があった。しかしその区別は最近とみになくなり前座試合でもいわゆる大技が飛び出すようになっている。現在唯一その区別がはっきり残っている団体が女子中高生のカリスマ「長与千種」を擁する全日本女子プロレス、そしてその区別が皆無と言っても良いであろう団体がここJWPである。その所属レスラーの全員が2年前の団体創立以降にデビューしたのだからそれも宜なるかなではある。その意味ではこの団体の興業は第一試合からメインイベントまでずっと前座試合でしかないとの皮肉な見方も存在し得るが、やはりここはこれだけ多くの魅力的な新人たちの成長を同時間的に共有できることを高く評価しておきたい。無論キューティーもその中の一人、いやとびっきりの一人だ。
この日キューティーは風間ルミと対戦。リングに上がったキューティーはやはり痩せている、むしろやつれていると言ったほうがいいくらいなのだ。「ぬぐぐぐぐっ。」と再び沸き上がるビデオ監督への怒り。しかしこの場はひとまずそれを押えてリング上に全神経を向ける。するとそこにあるのは新しいキューティーの姿だった。細くなった顔はキリリと闘志が漲り、目はランランと輝いていた。かつての甘い雰囲気、それゆえにロープから跳ね返って来た相手をやりすごしてしまったり、台本のあるインタビューで惨敗を「ざんばい」と読んでしまったりしても許せたのだけれども、がなくなり一回り大人になりかわいいから美しいキューティーへと変身している様を見るとなにか新しいドラッグでトリップしているような心持ちがした。ぴったり9分間のトリップ。風間ルミのメキシコ式高角度回転エビ固めで決着はついたのだけれどもプロレスの勝敗なぞ余程の大試合でなければ意味を持たず単にマニアのお遊び道具でしかない。いかに試合を組み立てられたかという点にこそ、真の価値は存在するのである。その意味でもこの日のキューティーは一段の変化を見せてくれた。
その後僕の視線はリング上を離れ、ちょっとだけ疲れたようにセコンドをしているキューティーにくぎづけだった。
長ねぎ畑の向こう側のリング
1989年1月14日 ジャパン女子プロレス 本庄市大会 観戦記
(1996年の補足:所属する労働組合の機関誌「Go Go Young」に載せたもの。テーマは純愛だった。題名の「長ねぎ畑」は前年に出かけたねぎの名産地「深谷」を意識して付けたもの。)
「キューティー鈴木」、とそっと言ってみる。その言葉は僕の喉を優しくくすぐり、舌のうえに甘くてほんのりとした酸味を残してゆく。そしてつぶやきはもはや単なる日本語としての「キューティー鈴木」を通り越し確固たる実体となって僕の目の前に展開される。
(1996年の補足:100キロハイクは早稲田大学で行われる年1度のイベント。また二世タレントとは木村一八のことと思われる。)
会場に入ってみるとあにはからんや満員だ。君達には他に娯楽というものがないのか。ガキは喚き走り、じいさん、ばあさんはつどい、男子学生はにやける。田舎の暮らしは貧しいなぁ。そんな浮足立った現地民たちの間を新人の女の子たちがパンフレットを売り歩く。健気である。
(1996年の補足:「田舎の暮らしは貧しいなぁ。」車寅次郎の定番台詞。この頃「男はつらいよ」のビデオを見まくっていた。)
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