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(初出:Fighter Super Suplex Vol.1 1988年3月1日発行)
必殺技大鑑と銘打ってはあるが、写真はオリジナルに限ったので、1982年第10回チャンピオンカーニバルでの対石川敬士戦での決め手となったネックブリーカードロップや1986年最強タッグリーグでの鶴田と組んでの長州、谷津戦での長州に「タイム」と言わせたワキ固めなど収録できなかった技も多数ある。
また今考えると原から二度(1984年4月)、ストロングマシーンとのUN戦などで勝利を収めた強引な片エビ固めの様に収録しておくべきだったと思う技も多くある。また技の説明文にも多数誤った点があるだろうと思う。
しかし本筋の「自分は天龍源一郎が好きなんだ。」という点は全編を通じて表現できたと自負している。来る三月に卒業を迎えるにあたり今回の作品を自分の代表作としてFighterに残して行くことに喜びと誇りを感じている。
1988年2月16日
この技の出発点にはいくつかの説があり、米国遠征中に日本帰りのレスラーが「猪木がおかしなドロップ・キックを使う。」と言っているのを聞き、雑誌などの写真も参考にして使い出した、とか試合中マスクド・スーパースターが何故かしゃがんでいたので偶然このような技になり、それを試合後ブラックジャック・マリガンに誉められたので本式にマスタしたなどのがある。いずれにせよ米国では使っていたのだが、帰国後しばらくは猪木に遠慮して使っていなかったらしい。
バリエーションは豊富でロープへ振ってのカウンター、左右両刀使い、延髄三段斬り(NTVのKアナウンサはこれを延髄→背中→下半身と蹴ると放送したが誤りで、実際には1984年G.C.C.2でのインタータッグ戦で上田馬之助相手にみまった3連打を週刊プロレス誌がこう名付けたもの。)、エプロン上での攻撃、顔面蹴り等のほかにタッグプレーではダブル延髄、サンドイッチ延髄、はては鶴田との延髄+ジャンピング・ニーパットというパターンもある。
延髄斬りと対比させて論じるべきはドロップ・キック。以前東京スポーツ紙上にて「何故天龍はドロップ・キックを使わないか。」という記事が載ったことがあったが、理由はこの技を使わないことで相手に飛び技がないように思わせておいてから延髄斬りを使うと効果的であるからと言うことだったが、その真偽は別として確かにあまり使わない。対長州力戦では間合を詰めた水平蹴りを公開し、一部ファンを喜ばせた。コーナー最上段からのミサイル・ドロップ・キックをかつて一度だけ公開したことがある。
最近凄みを増してきているのが蹴り。最初に意識的に使用した試合は1986年7月の対スタン・ハンセン、AWA戦だろう。1987年11月7日の対輪島大士では情け無用の蹴りまくりを見せ、輪島を文字どおり足腰立たなくした。天龍の力感・プロレスならではの凄みを見せる技である。
一方まるで凄みを出せなかったのが、1986年6月12日の対スーパー・ストロング・マシーンのUN戦などで見せたソバット。どんな技でもトライしてみる天龍らしく試してみたのだろうが、あまりに弱々しくしか決まらず、すぐに使うのを止めてしまった、珍しい技である。
蹴り技の項の最後はジャンピング・ニー・アタック。かつてショッカーが仮面ライダーに対して「にせ仮面ライダー」を持ってして対抗したときの盛り上がりを思い起こしても分かるように、相手と同じ武器で対抗するという作戦は我々の胸を躍らせる。昨年夏の対ジャンボ・鶴田戦ではこの技がそうであった。しかしこの時が初公開という訳ではなく、1985年4月の対キラー・カンのUN戦が初公開である。この時はエプロン上のカンを見事に場外へ転落させた。しかし1986年9月の対長州力戦では逆にはたき落とされてサソリ固めに持ち込まれてしまった。
ラリアットの原形と言えばランニング・ネック・ブリーカー・ドロップだが天龍もこの技を使ったことがある。1983年4月20日の2度目のジャンボ・鶴田とのシングル戦でのこと。さしずめ御大直伝と言ったところであろうか。筆者の知る限りではこの時限りであった。今からでもラリアットと使い分けたならばおもしろいと思うが。
天龍の「力感・プロレス」の中でも筆頭格の重量感を見せつけるものがダイビング・エルボー・ドロップ。NTVのアナウンサは「調子を測るバロメータ。」と言うがその由来は定かではない。細かく言えば体側を用いたボディ・プレスといった感もなくはない。この体勢での使い手はほかにマーク・ロコがいるくらいで珍しい。天龍もリング内を向いてのエルボー・ドロップは珍しく、1986年7月31日の対谷津嘉章のUN戦くらいではなかろうか。ともかくパワー・ボム開発前は決め技として使われることも多かった技である。
同じコーナーポストを利用した技にダイビング・エルボー・アタックがある。かなりの効果がある技だが多用はしない。これに類似した技で1986年3月1日の対テリー・ゴーディ戦でのダイビング・ボディー・シザーズがあり今回写真で取り上げた1986年3月13日の対谷津嘉章戦もこの技の失敗という説もある。
カウンター・エルボー・アタックは多用する技で一流の力強さを感じさせる。ハルク・ホーガンのコーナースルー・アックス・ボンバー以来のはやりのコーナースルー・エルボー・アタックも使用したことがある。
最後に上げるのが最近すっかり見られなくなったテンリュウ・チョップ。デビュー以来数年間天龍の代名詞的技であった。効果の程は、ほとんど感じられなくとも盛り上げ技として忘れ難い。写真のようにノド輪に決めれば結構効いたのではないだろうか。またいつの日にかリバイバルして欲しいと思うのは筆者だけではないと思うが。
例のインタータッグ戦ではジャイアント馬場の後頭部をターンバックルにぶつけた一見腰砕けのような投げも見せている。
1982年後半から1983年前半にかけてパンフ、雑誌で得意技として「雪崩式バック・ドロップ」が記載されているが、これはコーナーポストを利用したものではなく河津掛け落としとの中間のようないわば「共倒れ式」とも言えるようなものであった。
このバック・ドロップを改良したのが高角度バック・ドロップ。相手をニー・クラッシャーの体勢で持ち上げ落差を大きくして相手を投げる。ハリー・レイス、佐藤昭雄あたりがオリジナルのようだが天龍ファンにはUN初防衛戦でテッド・デビアスを下した決まり手として有名である。しかしその後1985年6月21日の対長州力戦などで使用してはいるが、ことごとく失敗しており1986年1月24日のインタータッグ戦を最後に姿を消した。
現在本来の形のブレーン・バスターを使うレスラーはディック・マードックだけになってしまいこの技はハイアングル・ボディ・スラムと称した方が良いかもしれない。天龍のは体のソリとは無縁とばかりに相手をたたきつける。最近はやりのハイスピードブレーンバスターとは正反対のある意味では古典的な技である。
サイド・スープレックスはデビュー間もない天龍の数少ない持ち技の一つであった。ジャイアント馬場がある本で「天龍にはサイド・スープレックスの変形を必殺技として使わせたい。」と語っているが、これは後出の天龍稲妻落としの原形となったフロント・ネック・チャンスリー・ドロップのことと思われる。
御大ジャイアント馬場を祖として内外に使い手のいる河津掛け落とし。天龍もその一人である。天龍の場合にはスピードが特筆され、以前は相手をたたきつけた後、すかさず後方に一回転し立ち上がり体固めへ行くことが多かったが最近では寝技への布石として使用することが多い。
最後は原爆固め。以前ある雑誌のインタビューで天龍とアントニオ猪木の違いを「猪木さんは原爆固めができるが自分にはできないし・・・。」と語っていた天龍だが、その原爆固めさえも彼なりのアレンジでレパートリーに取り入れた。初公開は1987年2月のインタータッグ戦だがその芽はその一週間前の同じインタータッグ戦に見ることができる。鶴龍開戦以降、対ジャンボ鶴田戦専用となっている。あまり乱発せずに大切にしてもらいたい技である。
この技の原型となったものがショルダーバスター。カナディアン・バックブリーカーから相手を思いきりヒザにたたきつける荒技、ほかにはボブ・バックランド位しか用いていない。いかにも天龍らしくていいのだが、1983年赤頃から改良型へ移行し、あまりおもしろくなくなった。是非復活してほしい技である。
危険度と言えばこの技も負けていない。DDT=デンジャラス・ドライバー・テンリュウ、1984年4月の対原UN2連戦を前に馬場が伝授。マードックに負傷させて以来封印してきた技を復活させたという恐怖の荒技。原相手にしか公開していない。ヤワなレスラーでは耐えることのできない技である。同じく顔面を砕く技が天龍稲妻落とし、1983年6月のルー・テーズ教室で伝授されたフロント・ネック・チャンスリー・ドロップを改良。初公開は1983年10月4日の対鶴見五郎戦。この時はまだ「天龍ドライバ」とも言う感じで相手を脳天から落としたが、翌年初め頃からフェイスバスターの型となった。これにも写真で示すように前期型と後期型がある。以前は鶴見相手に時折見せる程度であったが、最近では比較的よく見ることができる。なお、この技にDDTの名称を使用することは天龍に限って言えば誤りである。
パイル・ドライバーは誰でも使う技だが、天龍の場合1984年9月12日の対リック・フレアーのNWA戦で1本取った技である。ジャンプすることは少ないがバランスよく相手をたたきつける。
最後に珍しい技を一つ。1985年6月21日の対長州戦で公開したブルドッキング・ヘッド・ロック、重量感あふれる攻撃だったが2発目はバック・ドロップで切り替えされてしまった。
オクトパス・ホールドと言えば本家は猪木である。延髄斬りでは本家とまるで違う味わいをしてオリジナリティをだしたが、オクトパス・ホールドとなるとそうも行かずあまり誉められたものではない。どうしてもきれいな「卍」の形にならない。上田と抗争を繰り広げていた頃「卍できっぱりとギブアップを取りたい。」と語っていたが、過去この技でギブアップを奪ったことは1981年最強タッグのキラー・カール・クラップからのみ。
1983年10月14日の対ディビィアシのUN挑戦試合で初公開した固め技が、風車固め。大木金太郎の「X固め」に似ているが相手の左腕の挟み込み方が違う。初公開当時は「アバラ折り」の名称だったが1984年グランド・チャンピオン・カーニバル3開幕直前の「天龍、鶴田に挑戦……」と言う記事で、対鶴田用秘密兵器「風車固め」と命名された。1983年11月3日にマイク・ドゲンドルフ1984年7月22日にはカール・フォン・スタイガーからギブ・アップを奪った。
同じく天龍オリジナルなのが腕折り固め。ショルダー・アーム・ブリーカーを基にした固め技で相手の両腕をロックし、持ち上げ相手の体重で決めてしまう技だった。1983年7月27日にジェリー・モローからギブ・アップを奪ったが、体勢に無理があったのか、消えていった技である。
足4の字固めも一時期天龍がこった技である。以前は相手の足を先に4の字にしてから掛けていたが、最近ではスピニング・トー・ホールドから入るといったオーソドックスな形となっている。第10回チャンピオン・カーニバルでの対鶴田戦、1983年のエキサイトシリーズでの対タイガー・ジット・シン戦などで相手を苦しめたことが記憶される。
逆エビ固め系の固め技も天龍の見せ所である。ギリギリと満身の力を込めて締め上げる片逆エビ固めはまさに真骨頂である。長州のサソリ固めに対抗したのがテキサス・クローバー・ホールド。1984年9月6日の対ジム・ガービンのUN戦でキウイ・ロールとともに初公開し、2日後にはエド・モレッティからもギブアップを奪った。9月12日の対フレアーNWA戦への布石であったのだが、残念ながら本番ではさしたる効果は上げられなかった。その後長州のサソリに対抗する技として一時期日の目を見たのだが徐々に使わなくなった。最近極たまに見せるがイメージに合う技だけにもっと使ってほしい技である。サソリ固めは対長州戦では使ったことはない。初公開は1984年4月の対原戦、1987年3月の長州全日本プロ離脱後に数度使った。友人の三遊亭楽太郎師匠の一人会へゲストとして出席し、「他人の技だけど……」と言ってからデモンストレーションしたことがある。
スリーパー・ホールドは天龍ファンなら欠かせない技。あるインタビューで「今はスリーパーホールドを自分の技として完全に身につけようと思っている。今道場でこの技を練習中だが、10中9人までは締め落とせるよ。コブラ・ツイストのような技は最早痛め技になってしまったが、俺はスリーパー・ホールドという技の単純さと恐ろしさがとても気に入っているのだ。」と語った。実際の試合で相手を締め落としたことはないが、天龍の趣味がよく判る。
原とのタッグ・ティームを結成してから使いだしたのが強烈なタックル。今まで使わなかったのが不思議な位であるが、鶴龍コンビ時代にはカウンターエルボースマッシュを使っていた。
ヘビー級の空中殺法として注目すべきは数々のボディアタック。1987年11月7日の対輪島戦で輪島を場外へ葬ったフライングボディアタック。ディビアシ戦になるとよく使ったダイビングボディアタック。天龍を意外性の男と言わしめた人間ロケット。初公開は1982年2月4日の対ミル・マスカラスのIWA世界戦。この試合ではロメロ・スペシャルも公開した。人間ロケットは対ディビアシ戦でよく見られた。一度エプロンへ出てから場外の相手に飛びかかる変形の人間ロケットも1986年3月13日の対谷津戦などで見せている。
最後にあげるのは1986年7月31日の対谷津のUN戦で公開したヒップアタック。谷津をコーナニ釘付けにしてのアタックは意表を突いたものでわりかと効果的だった。たぶんこれきりの公開だろう。
天龍源一郎 必殺技大鑑 バージョン1.0
1996年の補足:僕がかつて所属していた早稲田大学プロレスリング総合ファンクラブ「ファイター」の機関誌「Fighter Super Suplex」に寄稿した最長の原稿。今回は、テキスト部分のみを収録。現在「The Wrestling High」で展開しているバージョン2「天龍源一郎 必殺技大鑑 on the W.W.W.」とは毛色が異なっている。そのうち(うーんとそのうち(;^^))、バージョン2と融合させて、バージョン1.5にする積もりがある。
なお、状況が判りやすいように、初出の際には「あとがき」であった部分を先頭へ持ってきている。
あとがき
「昔、別冊ゴングに馬場とか猪木の何々大必殺技という企画があったろう。小さい紙の。」という会話が始まりだった。その天龍編を創ろうという訳だったのである。自分が撮り貯めた5年間分のストックから40種類の技を挙げ銘々に説明を付けた「これが天龍源一郎40大必殺技だ。」を脱稿したのが1月の中旬だった。それにさらに手を加えたものが今回の「天龍源一郎必殺技大鑑」である。(永久保存版との肩書きはFighter Super Suplex編集部が付けたもので筆写は関知していない。)
吉川知里
天龍源一郎
「蹴撃」
天龍と切り離すことができない技が延髄斬り。出世試合となった1981年7月30日のビル・ロビンソンと組んでジャイアント馬場、ジャンボ鶴田組の持つインターナショナルタッグ選手権に挑んだ際に初公開した。日本での最初の使い手はアントニオ猪木であるが猪木の技が相手の頭をスパッと斬り落とすイメージであることに比べて、天龍の場合は「力感・プロレス」とも言うべき力強さで持ってして相手の後頭部を粉砕し、見事に別のイメージを創り出した。
天龍源一郎
「剛腕」
天龍の太い腕から繰り出される技は観客を引き込まずにはおかない。その最右翼が水平打ち。後楽園ホールほどの会場であれば一発で観客を黙らせる。現在の日本マット界最高の水平打ちである。この剛腕と気迫で生み出したラリアット。初公開は1983年6月8日の対ディック・スレイター戦。しかし頻繁に使うようになったのはジャパン・プロレスが全日本プロレスに登場してから。強烈なラリアットは中堅選手ならば一発で昇天させる。1984年最強タッグでの対ザ・ファンクス戦でドリー・ファンクに放った後自ら場外へすっ飛んで行ったあのシーンは天龍のラリアットを語るうえで忘れられない。阿修羅・原とのタッグプレーでのサンドイッチ・ラリアットは新しい連係プレーである。クラッシュ・ギャルズ、ザ・ロード・ウォリアーズなどが取り入れている。
天龍源一郎
「激投」
天龍は決して器用なレスラーではない。従ってバック・ドロップも上手とは言えない。天龍の場合、時期によりグリップがドリー式であったりテーズ式であったり統一していない。落下角度は相手が自分よりも小柄である場合には鋭い。
天龍源一郎
「粉砕」
パワーボムは現在の天龍の決め技である。ゴディ来日第1戦での敗戦(パワーボムでフォールされた。1983年8月)を基に、1984年中頃から使いだした。初期には(例えば1985年2月の対長州戦)正座式であったが、同年中頃から今の形となった。強烈なパワーボムからの押さえ込みを逃げ得るレスラーはそう多くはない。
天龍源一郎
「猛絞」
鶴龍開戦後天龍が鶴田のコブラ・ツイストを評して「あれは休んでいる。」と語っていたが、天龍のコブラ・ツイストは休んでいない。両手をしっかりグリップし、強烈に締め上げる。こうした古典的固め技をきっちり使うところに天龍の「らしさ」がある。コブラ・ツイストを再び必殺技に復活させるとすれば天龍しかいないだろう。コブラ・ツイストのバリエイションとして忘れられないのがローリング・クレイドル・ホールドとグランド・コブラ。ローリング・クレイドル・ホールドは言うまでもなく天龍の国内デビュー戦(1977年6月11日)を飾ったフィニッシュ・ホールドだが、1976年6月11日のテリー対鶴田のNWA戦を見てプロレスラー天候を決意した天龍がこの時見たテリーのローリング・クレイドル・ホールド(テリーはこれで2本目を取った)をどうしてもやりたくてアメリカ遠征中にテリーに教わった技である。グランド・コブラは1984年2月23日の対リッキー・スティンボートのUN王者決定戦でのフィニッシュ・ホールド。
天龍源一郎
「肉弾」
ラリアットの初公開は1983年6月8日の対ディック・スレータ戦だが、この日はブルーザ・ブロディ張りのランニング・ニードロップも公開し、好事家の間では「一人超獣コンビ記念日」として知られている。天龍のニー・ドロップは普段はつなぎ技だが、時としてもの凄いダイビング・ニードロップ1987年5月1日の対原戦ではこれを原の喉元へ落とし、観客の度肝を抜いた。ダイビング・ギロチンドロップを使ったこともある(1983年10月4日対鶴見戦)。
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