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(初出:Fighter Super Suplex Vol.1 1988年3月1日発行)
とは言うもののいきなりプロレス界最高の芸術品ジャーマンスープレックスホールドを敢行するほどの度胸はない・・・。その時君は、そう人間風車・ダブルアームスープレックスを思い起こす。今こそ、人間風車を爆発させるのだ。
君は友達の頭をグイと押し下げると腕をリバースフルネルソンに固め、乾坤一擲投げつける!。しかしだ、君はそのとたん自分の修行のいたらなさを後悔するに違いない。後頭部をしたたかに打ちつけ、鼻はといえば友達の背中でぺちゃりと潰されている。そんな君はつぶやく「人間風車てのは難しいんだ。」
そう、人間風車は難しいのである。あのリックフレアーでさえ使いこなせないのだ(1985年10月21日のリックマーテルとの試合を覚えているかい)。その人間風車を相手の頭を中心にすえた形で完全に使いきれる男はあの「4種類のスープレックスをマスターした男」ジャンボ鶴田その人である。
かつて鶴田と人間風車は切っても切り離すことはできない仲だったのである。レイス、フレアーのNWA王座、ニックのAWA王座に挑戦し、自らのUN王座を守る時忘れてならないのが人間風車であった。
ところが、鶴田がバックドロップをマスターし、倉持アナウンサーも「ルー・テーズを超えた。」と言い出しNWAやAWAに挑戦するよりもインタナショナルヘビーを防衛するほうが大事になり出した頃から、満ちていた潮がだんだんひいて行くように消え出したのだ。まったくもって鶴田が人間風車を使わないのは刺し身に下地のないがごとし間抜けさ、西洋館に枕の無いような居心地悪さなのだ。
なぜ、鶴田は人間風車を使うことを控え出したのだろうか。いや、むしろ鶴田の試合はかつて程の技の多彩さが無くなっているのではないか。それはともかく、人間風車とともに鶴田の試合から若さが去っていったのは確かだろう。
プロレスリングアルバムVol.2 ジャンボ鶴田の人間風車
▲なんと見事なブリッジではないか
(1983年6月8日 対リック・フレアー)
▲グリップをはなすタイミングがいい!
(1984年2月23日 対ニック・ボックウインクル)
▲ホーク・ウォリアーを人間風車で投げられるのは鶴田だけ
(1985年10月21日 対ロードウォリアー)
1996年の補足:僕がかつて所属していた早稲田大学プロレスリング総合ファンクラブ「ファイター」の機関誌「Fighter Super Suplex」に寄稿した原稿。vol.2となっているので、Vol.1があるのだろうか(自分のことなのだが、覚えていない)。しかし、あのジャンボも今では過去の人となってしまった。
君がプロレスファンならば中学生の頃、修学旅行の布団の上で、夏のプールで、体育館のすみに重ねてあるマットの上で友達にプロレス技をしかけたことがあるだろう。最初のうちは水平打ちだのアトミックドロップなどでも充分な満足が得られただろう。しかしだんだんもの足りなくなってきて・・・、そう寝る前のふとんの上で密かに練習したブリッジの成果を生かす時が来たのだ。
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