日本J1選手権決定トーナメント準決勝
(97年12月23日 上田馬之助君を激励するプロレス大会 東京・後楽園ホール)
荒谷(ムーンサルトプレス2連発からの体固め)北原
(荒谷は98年1月14日に行われる決勝戦で天龍対北尾戦の勝者と対戦する)
▲88年4月21日に撮影したデビューしてまもなくの北原(デビュー戦は88年4月8日)。シューティング流の動きを全て封印していた頃だ。
▲90年3月24日に撮影したカルガリー遠征を終了し、帰国第1戦を闘う北原。この試合タッグパートナーの三沢(当時タイガーマスク)に見捨てられてしまい、後半ローンバトルとなった。
北原である。応援するのであれば、荒谷じゃない、断然北原である。理由は簡単だ、ずーっと見てきているからである。デビュー直後に全日プロには珍しいシューティング経験者だと言うので期待して試合を見たら、全くそれらしい動きをしなかった頃も、カルガリーから帰ってきたのに、帰国第1戦で三沢(当時タイガーマスク)に見捨てられてしまった時も、SWSへ移った当初に敢えて飛び技で勝負していた頃も、サムソン冬木とのチームでWWFへ遠征しようとしたけれども、ビザが下りなくて結局遠征できなかった頃も、維新力や折原をボコボコにしたけれどもハクを相手にすると弱くなっちゃったのも、超龍軍も、定着しなかった「コブラストラングル」も、阿修羅原の復帰戦が行われた長岡でふたが閉まらなくなったタクシーのトランクを見て笑っていたのも、WAR旗揚げ第1戦で折原にパワーボムを放ったら天龍に思いっきり顔面を蹴り上げられたのも、それからそれからと……。
▲92年4月16日のSWS南足柄大会で見せたコブラストラングル。同時期にカルガリーへ遠征していた佐々木健介の「ストラングルホールド」と同様にカルガリーで会得したものと言われた。
とにかくだ、10年弱の間北原を見てきたわけである。それに比べると、荒谷に関しちゃまだまだチョボチョボなのだ。その上北原ときたら全日同期の小橋健太はすでに全日本三冠王座を経験済みだし、カルガリー同期の佐々木健介は現在新日本IWGP王者である。とならば、ここいらで一発ガンッとやって欲しいのである。なんと言ってもこの10年、北原は期待に沿った事が「例外」と言えるほどに期待に背いてきたのでもある(「例外」:WAR−UWFインターの対抗戦では役割を果たしのだ)。
さて、今回の荒谷戦を迎える直前に北原は所属するWARからの離脱を宣言している。ところがこの報道は東京スポーツで小さく取り上げられたばかりだし、週刊誌の発行ペースも23日の試合までにこれについて取り上げる時期ではなかった。おまけに、その宣言以降に
WAR公式Webサイトに発表された98年1月シリーズの対戦カード
では嵐、荒谷、太刀光とまんべんなくWAR勢とチームを組む事にすらなっている(97年122月23日時点)。一体どうなっているのだ?北原らしい宙ぶらりんと言えば、いつも通りではあるが。
宙ぶらりんで迎えた試合、はやる荒谷は北原がコールされる前に突進した。ところが、北原は受けるばかりで反撃を見せない。やはり、いろいろとゴタゴタがあったりしてやる気をもてないままに今日を迎えてしまっただろうか?序盤から場外戦へ。さてどうなる。
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