日本J1選手権決定トーナメント準決勝
(97年12月24日 WAR CHAMPION of R '97 in Eve 東京・後楽園ホール)
天龍(11分35秒 押え込み)北尾
(天龍は98年1月14日に行われる決勝戦で荒谷と対戦する)
▲巨象・北尾に対峙する天龍。97年型天龍にとって北尾は強敵だ。
▲リングアナウンサーのコールを受け、手にしていたタオルを観客席へと投げ込む天龍。会場へと足を運んでくれたファンへの気遣いか。
▲一筋縄ではくくれない相手・北尾。天龍と北尾の視線が殺気を漲らせる。
これが現実の97年型天龍源一郎である。それ以上でも、それ以下でもない、レスリングデビュー当時の77年型でもなければ、龍原砲が結成された87年型でもない、今、この瞬間に見る事ができるのは、掛け値なしの97年型天龍だけなのである。
97年型の天龍にとって巨象・北尾がひどく荷の重い相手である事は隠しようもない事実、その事実を天龍がリング上でどう見せるのか、興味はその一点。
顔面斬り、そして倒れた北尾に飛びついて押え込む、天龍が押え込んだとたんに北尾は下から天龍の左腕をひしぐ、ひしがれた左腕の激痛に耐えながらも押え込みを止めない天龍、腕をひしぎつづける北尾、膠着したまま流れる時間、天龍の目が海野レフェリーに「フォールカウントをとれ。」と語る、海野レフェリーがカウントを取り始める、北尾は肩を上げられない、11分35秒目に入った三つ目のカウント、試合は終わる。
大方の観客にとっては唐突で、大いに不満の残るもの終わり方だったんだろう。が、僕にしてみれば、「ああ、97年型の天龍は北尾に負けないためには『押え込みを出すしかないな。』と思ったんだな。」と言う事だ。
天龍にとってとなるのか、それとも天龍を見てきた僕にとってとなるのか、『押え込み』は印象に残る技だ。SWS時代、薄暗い大阪府立体育館で初めて天龍と北尾がシングルマッチ対決を行った時の決まり手も押え込みだった。あるいは、武道館でスーパーストロングマシーンと対戦した時、阿修羅原との対戦でも押え込み決着があった。UNヘビー級王座をリッキー・スティンボートと争った一戦の決まり手『グランドコブラツイスト』も押え込みの一つと見る事もできるだろう。そして、先日の対藤原戦も。
一瞬の手掃き、ほんのわずかに足の指が掃き清められた砂に跡を残しても負けになる相撲の世界から、1、2、3と三つものカウントが入るまでは何度でもやりあえるプロ・レスリングの世界へ飛び込み20年。このとことんやりあえることを誇りにプロ・レスリングに体を張ってきた天龍。一撃のキックが入っての決着、一瞬の隙を突いて関節を極められる決着、そんな決着の付け方を「あえて」チャラいと言い切る天龍。
その天龍がそれでも一発入った顔面斬りから飛びつくように押え込み、腕をひしがれようがなんであろうが、なりふり構わず3カウントに拘泥した。それでも、3カウントに拘泥せざるを得なかった、北尾を前にした97年型の天龍の「必死」。そんなものを感じられたことは、97年型の僕にとってはとてつもなく大きな収穫として記憶に残る。そして、「必死」を感じようとその年型の僕はその年型の天龍を見続けるだろう。そんなことなのである。
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写真レポート「北尾怒涛篇」
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