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2005-1-31 23:30

 30日は渋谷事務所の法定電源点検があったので、早朝にサーバー類の電源を落として回ることになった。年に一度の法定電源点検、昨年はグループメンバーに作業を任せたのだが、今年はこの週末に新大阪に5名、新浦安に1名と多くのグループメンバーが作業のために休日出勤をしてくれていたので、自分自身でサーバー類の停止作業と電源点検作業後のサーバー類の起動作業を担当することにした。

 サーバー類の停止作業は30日午前5時から実施の予定だったので、そろそろ寝なくてはと思い始めた29日23時過ぎに第一報。新大阪で作業をしているグループメンバーの一人が体調を崩したために、救急車を呼び病院へ行くという。グループメンバーが“倒れた”のは1月後半に入って3例目だ。

 その後病院へ行ったグループメンバーの状況を確認したり、遂行が困難になった作業の後始末について協議をしたりと電話連絡頻々。ようやく状況が落ち着いたのが4時過ぎ。それから渋谷へ出かけてサーバーの停止作業に2時間強。停電作業開始直前まで管理者パスワードがわからないサーバーがあったりして、最後は事務所内を走ってぎりぎり停電作業開始5分前にサーバー停止作業を終了。

 停電作業の終了予定時刻は18時だったので、日中は後楽園ホールへ行き“ジャイアント馬場さようなら後楽園ホール”を見に行こうかとも算段していたが、眠気には勝てず、観戦を取りやめて帰宅、9時頃就寝。

 昼過ぎに起き出して、また何度か電話連絡があった後に再度事務所へ出てサーバーの起動作業。起動作業も2時間かかり、それが終わったら福岡へ出張している同僚の宿泊先ホテルへ打ち合わせ資料をFAX送信、その後電話で内容の確認。

 この出張、自分も行くつもりだったが、グループメンバーが倒れたあとを整理する必要が出たので、急遽キャンセルした。もっとも、福岡へ出張している同僚は、かつては「やられっぷりの良い」彼だったが、その後めきめき腕を上げて、すっかり任せられる人になったので、資料を送り、電話で説明しておけば安心だ。同じ頃新大阪で倒れてしまったグループメンバーはなんとか地元・新横浜まで戻ってきて、かかりつけの病院へ。その後入院はせずに、いったん帰宅。

 そんな感じで日曜日が過ぎて、今日月曜日、倒れてしまったグループメンバーは主治医の診察を受けて少なくとも今週一般は休むことに。彼がいない間のことをいろいろと考えないといけないのだが、相変わらずとっちらかった一日で月曜日が終わった。結論は出ない。僕の38歳は終わり。日々やりきれないこと鬼のごとし。うーん、明日はなんだ。

2005-1-23 23:00

 今日23日は久しぶりに完全OFFだったが、昨夜就寝前の新キューピーコーワゴールドを飲み忘れたためにすっきりと目覚めることができなかった。月曜日から気休め程度に新キューピーコーワゴールドを飲み始めたのだが、想像以上に効く。疲れてきてものを考えたくなくなることはあっても、とりあえず身体は動くし、必要な時間に起きることができる。ただ、飲み忘れると、本来の状態に戻ってつらくなるので、忘れずに飲まないといけない。

 そんな状態の今日は、6時過ぎにいったん起き出して新聞社のサイトを見てからもう一度寝た。正午頃に起き出して食事。その後また寝て19時半頃に起き出して今に至る。今だったらいくらでも寝られそうだが、明日は早めに出勤する必要があるので、今すぐに寝ても6時間も寝られない。何の因果かプリンタ類の移設対応を突然依頼されて、始業時間前に済ませなければいけない。

 このような突然の依頼が平気で出される一方、人事部門からは終了環境の改善を指示される。確かに職場で貧血を起こして倒れた女性職員がその後三日続けて深夜まで作業をしているのを目撃すれば、人事教育部長として放置できないのはわかる。

 だが、費用をかけないで、つまり増員や外注は無しで対策しろってのはかなり難しい話だ。プロレス団体だったら素顔で一試合、マスクをかぶせてもう一試合ってのが手っ取り早い要員不足対策だが、普通の事務所勤めでこれをやるのはおもしろそうだが、無理だ。もちろんサービス残業をさせて数字だけつじつまを合わせるってのもできないので、とりあえず突然の案件は自分で対応してごまかしておこう、と言うことで明日は早起きだ。なんだか腕時計のバンドが緩くなってきた気がするな。

 こんな日常なので、あまりマット界に注意を払っていない。毎日東スポを買っているし、スポーツナビも見ているので、それなり情報に触れているが、それを咀嚼するゆとりがない。家からそう遠くない新装なった板橋グリーンホールに是非一度行ってみたいと思い続けているが、あそこで大会があるときは、決まって何かの作業が入るんだよな。

2005-1-13 16:00

  福岡に前泊、今日の午前中に笹栗でLAN工事打ち合わせ、それから空路名古屋へ移動、栄で別のLAN工事打ち合わせをしてから新幹線で帰京する予定。

 で、今は名古屋空港から栄へバス移動中。国内線の幹線はあらかた乗り尽くした感があるので、福岡→名古屋のようなちょっとマイナーな路線に乗るのが楽しい。この移動がもう一月ほど後だったら新しい名古屋空港“セントレア(中部国際空港)”に入れたのだが、惜しくも機会を逃した。

 昨晩は福岡市内で水炊きを食す機会を得た。僕らが着席してほどなく隣席にも客が来た。少しばかり怖そうな風体の三人は熱心にビジネス談義。漏れ聞こえてくる会話に中に「あの人がシステムを作った」との言葉。

 おぉ、あのような風体ではあるものの、情報システム業界の同業者かと親近感が沸いたもつかの間、「システム金融で大きくなった」と続きの一言。システムって“闇金”かよ。この後も「自分があいつの良いところだけ利用させてもらう」とか「あのスナックのマスターが“とんだ”。俺が良く行くところはみんなつぶれるよ」と、あちらのシステム業界のお噂。

 なるほど、日頃接することのない闇金の人達もこうしてすぐ近くで普通に生きて、水炊き食べたりしているんだな。

2005-1-12 3:30

 渋谷の事務所で明日の会議に使う資料を作っていたら、帰る間際になってRAIDコントローラがエラーを通知し始めたりしたので、結局山手線の終電を逃した。仕方がないので、一緒に残っていたメンバーとなか卯で食事をしてからタクシーに乗り込み明治通りを北進するルートで帰宅。

 途中、代々木にある別事務所の前を通ったら2階も、3階も明かりが全てついていた。「まさかだれも残っていないだろう。あれはきっと電灯の消し忘れだよ。ISO14001の精神いずこへ」などと話をしながら、もしかしたらまだ仕事をしているのかなぁなどとタクシー車中から代々木事務所にイタ電をかけてみたら……、いたよ、まだ。お仕事中だったのね。イタ電してごめんね。

2005-1-10 23:00

 1月8日に発生したソネットの障害は意外に長引いて、復旧したのは9日の夕方だった。これほど長い障害、サイトの閉鎖はレスリングハイ始まって以来最長のものだろう。WEBサーバにアクセスできないだけではなく、DNSも返答を返してこなかったし、メールサーバも使えなかったから、単純に一つのサーバが止まった程度のことではなく、相当規模の大きな障害だったのだろう。ただ、自分の仕事柄か障害を発生させてしまったソネットに対して怒りはない。たいへんだったろうなぁと思うだけだ。

 さて、1月8日は天龍選手がNOAHマットに初参戦、三沢と初対決の日だったが、前述の障害があったのでたいしたことはできなかった。もっとも、サーバがきちんと動いていたとしてもどこまでのことができただろうか。

 と言うのも、1月8日は仕事、それもちょっと進行が危なくなっている案件が絡んでいろいろ動き回っていたからだ。朝9時前に出勤、仕事を続けて18時過ぎにいったん外出、武道館へ移動。休憩時間を迎えていた館内でようやく座席を見つけて着席。そこでザウルスを使って、初めてサイトの障害を知った。

 天龍選手はセミファイナルに登場。やはり天龍選手のプロレスはおもしろい。最近の僕は首、肩の痛みがもう二ヶ月間も強く出て続けていて(たぶんこれが四十肩というものだろう)、ひどいときには中華屋でレンゲを持つことすらつらいのだが、試合中、望遠ズームレンズを取り付けた一眼レフカメラを持ち続けてもなんでもなかった。それどころか、試合が終わってはっと気づいたら全く痛みを感じなくなっていたことに驚いた。それだけマット上の展開にのめり込める試合だったのだ。

 天龍選手の試合終了後、メインイベントを待ち続ける武道館を後に、職場へ戻る。それから作業を再開して終了したのが27時30分。それからタクシーで帰宅しても良かったのだが、長時間タクシーに乗るのが嫌だったので、JRが走り出すのを24時間営業の書店で立ち読みをして待った。この時間に“地獄のアングル”と“人生は3つ数えてちょうどいい”にざっと目を通した。“人生は3つ数えてちょうどいい”はもう一度じっくり読みたいと思ったが、“地獄のアングル”はもういいや。実は、ジャイアント馬場のファッション感とか、ライフスタイルに前から興味を持っているのだ。竹内宏介氏が“ジャイアント馬場に「人はまず靴を見る」と言われて以来靴には気をつけている”とゴングに書いていたのを読んで以来、僕も若手の部下にそれを言っている。自分の靴はさておいて。

 ようやくJRが運行を始めたので山手線ホームへ。あいにく十数分をひどく寒いホームで過ごしたために、身体が芯から冷えてしまった。地元駅からは自転車なのだが、下車がすぐに自転車に乗ることはできずに、駅前のコンビニエンスストアで暖をとりながら週刊ゴングと週刊プロレスを立ち読み。ある程度からだが暖まってから、ようやく自転車で帰宅したときには6時過ぎだった。

 と、こんな徹夜をしたものだから、今もってだるい。もう身体は若くないね。


2005-1-3 9:00

リンク先に無加工のファイルがあります
△朝明けの光の中に立つ東京タワーと六本木ヒルズ森タワー

 今年最初の徹夜作業を終えた頃には、夜もすっかりと明けて早朝の澄んだ空気の中に東京タワーが輝きを身にまとって立っていた。どんな徹夜明けでも、こんな景色を見ると、決まってミラーマンのテーマ曲を口ずさんでしまう。この先何度この歌を口ずさむのか。


2005-1-1 23:00

リンク先に無加工のファイルがあります
△12月30日の最初の家族が引っ越してきたので、観察撮影はこれで終了

 明日から仕事があるので、少しも年始休暇らしくない。もっとも、近辺を歩いてみても街全体がかつてに比べて、大きくお正月感を失ったるようにも感じる。僕が年始休暇の感覚を持たなくても、それは仕事の予定だけが理由ではないのだろう。

 では、いつが一年間の切れ目としてふさわしい時期なのか。誕生日か?。それとも会計年度の切れ目か。しばらくは一年間の切れ目を見失ったまま生きて行く、このことだけは確かそうだ。