96年11月下旬の雑記帳

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96年11月30日
 週末恒例の掃除を行う。平日は朝と夜にしか家にいないから掃除はできないのでいきおい大がかりになる。で、掃除の最中に床に散乱している本や、文房具を取り除いたら、その下からカネタタキが出てきた。
 その固体は雌だったので鳴くこともなく密やかに生きていたのだろう。もはや気温も下がっているのでその動作は鈍く、突然物陰を取りあげられたことへの対処も充分にはできていない。よたりよたりと歩くカネタタキを紙片の上へ導き、その紙片から表へと放った。
 今日は冷え込みも一層きつく、カネタタキがその命を長らえるためには表へと放ったことは全く不適切なことであっただろうが、まあ、そんなものだ。
 ケッタ(笑)。
96年11月29日
 引っ越しだ。当初予定よりも3ヶ月早く浦賀を去ることとなった。次の住居は千葉か埼玉か。それにしても、年末に引っ越しだなんて面倒なことだ。
 浦賀には1年10ヶ月弱いたことになる。人に「浦賀に住んでいる」と言うと、「ペリーが来航した町」となるのだが、実際にペリーが上陸した地点はもう少し久里浜よりになる。むしろ、造船所のある町としての印象が強い。町内会の回覧板で造船所から「進水式に参加しませんか」とのお知らせが来た時にはちょっと興味を惹かれた。平日だったので出かけることはしなかったが、今思うと仕事を休んで出かければ良かった。また、夜もふけると部屋の中にいてさえも汽笛が聞こえることがあった。良いところだったと思う。
 さて、新しい住所の候補のうち、埼玉は職場の寮があるところなので町自体に何らかの思い入れがあるわけでもないが、千葉の方は実家である。実家は野田市日の出町にある。千葉県のほぼ北端と言って良いこの町は江戸川と利根川に挟まれた土地で、車でちょっと出かけると茨城県に入る。もっとも、このあたりでの「車でちょっと」は道がすいていることもあり、距離的には案外あったりするものだが。
 実家から「車でちょっと」の範囲には白鳥の越冬地があったり、一面の田んぼがあったり、ビン胴仕掛けでやたらにタナゴが取れる沼があったりして、まあ早い話「田舎」なのだが、この「田舎」ぶりが僕には心地好い。生活空間として埼玉の寮と千葉の「田舎」を比べると千葉の「田舎」に軍配が上がる。
 が、千葉の「田舎」にも問題はあるのだ。いやになる問題が。やたらと家族に、「いつ結婚するのか」と言われるという問題が。そんなもん、そもそも相手を見つけなければいけないわけで、簡単にどうこうなるものでもないのになぁ、全く。
96年11月28日
 京浜急行の支障事故に出くわしてしまい、JR横須賀線を利用して帰宅した。なんか、やたらと疲れたなぁ。ところで、これまでたびたび「シショウジコ」とは「死傷事故」と書くとばかり思っていた。つまり、誰かが「死傷」した事故が起きたと。でも、正常運行に「支障」が出る事故のことだったんだなぁ。
 先日記載したWC積算鱈のURLが間違っていた(もう直したけど)。なんか3Webのサーバー増設を先取りしたようなURLを書いてしまっていた。うーん、切なる願望と言うものは隠せないものだ。頼むぜ3Web。すでに次の1年間分の料金を支払う手続きはしてしまったのだから、あとは3WebがWebサーバを増強してくれる日を一日も早くと待つ以外にアタシに何ができようか。
 ところで、今回のURL誤記載について大山賛鱈より次のメッセージを雑記帳に載せたら不問としようとの申し入れがありました。で、大山賛鱈からのメッセージは
 意外と身近に多い中部地区出身の皆様、来春のナゴヤドームのこけら落としで、オーロラビジョンに「ケッタ盗るな」「積算鱈」を大写しにしましょう。 これが日本中に配信され鱈痛快!
で、ございます。この企画について詳しいことは大山賛鱈のホームページ「WC積算鱈」をご覧あれ。
96年11月27日
 またもや、「ケッタ」である。この話しの大本となった五十井さんの調査によると、名古屋出身のK○ND○ Y○K○さんも自転車のことをケッタ、またはケッタマシーンと言うことが判明したそうだ。さらに、「ケッタマシーン」の略称として「ケッタマ」と言う呼び方もあるそうだ。
 今回の「ケッタ」話について五十井さんは次のような感想を寄せてくれた。
 いやいや、ケッタごときでこんなに話が広がるとは。富山では確か、ケッタマシーンというと原チャリの意味だったと思うのであるが。また、ケッタ帝王というと、ケッタをこぐのが異常に早い人のことをいう。数少ないケッタの通じる人間として、仲良くしていきたいものである。ということを考えていたら、いつになるかわからぬ我がホームページのタイトルをケッタ帝王とでもしようかと思う五十井であった。
 なんと、「ケッタ」話により五十井さんがいつの日か開設するホームページのタイトルまで決まりそうだ。ホームページ開設の際には、今回掲載した「ケッタ盗るな(富山北警察)」の画像をWWWにおける人類友好連帯の象徴としてプレゼントしよう。
 と、ここで「ケッタ」話を終わらせようかと思ったのだが、拾遺ケッタ話メールを2題。 一つめは、WC積算鱈の大山賛タラより、
 まさかWEB上でケッタの話をするとは思わなかったが。私の父は昔から原付の事を「バタ」と言っていた。個人的にそう呼んでるだけだとずーっと思っていた。が、大学時代か就職してからか忘れたが、ザ・ベストテンで黒柳徹子さんが、「(原付を)昔はバタバタと呼んでたのよ」と言った事がある。商品名なのか、それとも工業製品の精度がまだ高くない時代のため、バタバタと大きな音をたててたのか。  今原付というと、ホンダDIOのようなバイクを想像するのが普通だと思うが、元々は、ヤマハPASのように自転車に補助動力をつけたものから始まったはずだ。中学の頃、常時ペダルはこげる、かつエンジンもついている、という華奢な原付が、坂を弱々しく登ってくのを見た事がある。上級生が無免許で2人乗りしてのだが。それは「自単車」(じたんしゃ)と呼ばれていた。
 次には、長年の友人Katsuhiko "Katz" Kawai, Ph.D.より
 ハハハ、  ところで、静岡遠州、愛知三河近辺では「ケッター」と語尾を伸ばす若者も多かったよ。私もその一人。  ところで「壁にエミが入る」が富山でも通じるだろうか?

 と言うことで、今度のキーワードは「自単車」(じたんしゃ)ならびに「壁にエミが入る」となるのだろうか。まさかねぇ。
96年11月26日
 昨日と言うか、今日早朝に「ケッタ」についての第2弾を公開したら、それについてバーチャルバトルフォーラムの「岐阜軍団長」さんからメールをいただいた。
 それによると、東海3県(愛知、岐阜、三重)では「ケッタ」が通じると。ただし、岐阜軍団長さんのまわりでは、「ケッタマシーン」も自転車とのこと。「ケッタ」通用地域の調査はテレビ番組で行われた事もあると言う。
さらに、
 ちなみに私の住んでいる岐阜県の東濃地方では「物を盗む」行為を「ける」とも言います。そのため「自転車を盗むな」は、私の地域では「ケッタけるな」とゆう訳のわからない言葉になります(爆)
って。『(爆)の始祖』自ら(爆)を付けて教えていただきました、ありがとうございます>「岐阜軍団長」さん。(爆)の出自についてはふり〜と〜くをごらんあれ。
 ちなみに、「ヤフージャパン」で「ケッタ」を検索したら、「ポケッタブルスタジオ」とか「マルチメディア・マーケッター」などになってしまった。うべなるかな。
96年11月25日
 起きてます、午前5時に(今は11月26日午前5時、この章の日付と合わんなぁ)。僕の借りている部屋は通りに面しているので、外からでも明かりがついているかどうかくらいは確認できる。一体、近隣の人は僕(の部屋)を怪しんではいないだろうか。大概人の寝ている時間に起きておるからなぁ。
 今日も「ケッタ」情報。WC積算鱈の大山賛タラより、
『Subject: 「KETTA RACE」(QUEEN)
TWH雑記帳96年11月24日分より
> 「ケッタ」とは富山地方で自転車のことを言うらしい。
三重県でもケッタは自転車です。 ケッタマシーンは原付。(実話)』
の電脳矢文。「ケッタマシーン」秀逸。★★★★★。「チャリ」、「原チャリ」響き美しくない。美しくない言葉使い「もやしっ子」に。「長老」鈴木庄一文体思い起こす。
ケッタ盗るな(富山北警察署)
▲このときは、SWS富山大会を見に行ったはずだ。
96年11月24日
 いくつかメールを来た。それらに長めの返信を書き連ねていたら、さらに五十井さんからメールが届いた。とうとう、インターネットサービスプロバイダと契約をして初めてのE−MAILだとのこと。なのに薄情なアタシときたら一行だけ書き込んでサッサと返信してしまった。五十井さんのメールに「それでは、なら(富山弁)。」と書いてあったので、僕の知るただ一言の富山弁「ケッタとるな。」とだけを書き込んで。
 「ケッタ」とは富山地方で自転車のことを言うらしい。その昔SWSの富山大会を見に行き暇つぶしにふらついていたら、富山北警察署による「ケッタ盗るな」の看板が目についたのだ。富山地方では自転車がどうやって「ケッタ」になったのだろうか。いずれにせよこの「ケッタ盗るな」はこれまで見たなかでも最もインパクのあった看板の一つだ。
 インパクトのあった看板と言えば、「うしのベロ、子供に愛の手を」と言うものもあった。PTAかなにかの標語が載った看板であったが、「なんてアバンギャルドなんだろう。」と感心しつつ、近づいて、見たら「さしのべよう、子供に愛の手を」であった。単なる読み違い、勘違いであった。それにしても、読み違い、勘違いに気付くまで、「牛の舌のように熱い愛の手かぁ。」と大いに感動していたのだからなんとも。でも、たしかに牛の舌は熱そうだ(;^^)。
96年11月23日
 IWA格闘志塾の定期戦へ出かけてきた。出かけられなさそうな状況もあったのだが、スケジュールの調整がついたことと、なかやまさんのホームページでみちプロ雑記帳の「仮面シューター・スーパー・ライダー情報です!ライダーが11月23日のIWA格闘志塾(中略)泣く泣く今回は断念せざるをえませんでした......。次は絶対行くぞ! 」を読んでいたら、やっぱり見に行くかとの気分になったことが行動に移させた理由として大きい。
 実際、出かけてみるとドア・ツー・ドアで1時間強、職場へ出かけるよりも短い時間で会場にたどり着けることが分かった。ちょっと意外だった。
 会場では、インディペプロレス通信の野津さんと2回目、そしてThe Feeling Badのきむらさんと初めてお会いした。これまでネット上で、しかも顔写真なしで交流していた方と初めて会うというのは、いつも面白い体験である。が、どうせならば、みんな自分のページに自分の写真を載せてしまえばいいのにとも思うが。もっとも、僕がTWHに載せている写真に「怖い」とのコメントが寄せられてきたことがあるが(;^^)。
 さて、試合が終了したのが17時半くらいだったのだろうか。そのまま帰路につき、途中横須賀・汐入のダイエーに行きフィルムの現像を依頼。19時15分には現像ができあがる。汐入のダイエーは現像、プリントの1時間仕上げを受けてくれるうえ、店自体21時までの営業だからこんなことが簡単に出来る。したがって、今日行われた(厳密には昨日となるが)スーパーライダーの試合の写真もレポートに入れることができる。もっとも、データトラフィック量を減らすために、サイズを縮小しさらに減色までしているのでフィルムもデジタルスチルカメラの映像も似たようなクォリティーになってしまってはいるが。
 それにしても、今日もスーパーライダー&木村浩一郎の試合はすっきりとできなかった。このあたり一体どうなっておるのだ。こうなったら、初代タイガーマスクが来るIJタッグ選手権挑戦試合のパートナーにスーパーライダーを指名して、スーパーライダーにも僕にもすっきりとした試合を与えてはくれないだろうか。
 今日のBGM、Harry Hosono and The Yellow Magic Bandの「PARAISO」と篠原ともえの「スーパーモデル」(ははっ、マネしちゃった)。
96年11月22日
 お湯を沸かそうとして、コッフェル(キャンプなどで能く使う、取っ手付きの食器)を台所のガスバーナーに掛けて、しばらくしてから見たら、アルミニウムで出来ている取っ手の部分が「アルミニウムの液体」と化していた。手近なものでつついてみたらプニュプニュ動く。うひゃはひゃひゃ。
 職場で香水の話しをしていたらK○ND○ Y○K○さんが壊れた。過去に香水をめぐって何かがあったらしい。能く腹話術の人形だのなんだのと言われているK○ND○さんも背負っている歴史があるものだなと妙に感心してしまった。
96年11月21日
 3WebのWWWサーバ鱈全く反応が鈍くて、快適にメンテナンス作業をするためには、早朝に時間帯を利用するのが一番。おかげで生活パターンも変更しなくちゃ。
 出向元組織で発表された人事異動通知を見ていたら、退職者の欄に知った名前を発見。退職の理由も、これからの針路も知らないのだけれども、これからがより良い環境になりますように。>Y津さん。
ディメンテイアだ
▲たしかに、怖いぞ。ディメンティア。
96年11月20日
 徹夜した。昼に寝ていたので、何てことは無いのだが、夜には寝る気分にならない。昼は眠いし、実際寝る。どういうこと、これ。
 みちのく旅日記の中山クンは「中学生の時にみたジャパン女子ですけど。包帯ぐるぐる巻きのディメンディアがマジに恐かった....。」と言う。ディメンテイアが日本に来ていた頃、僕はもう仕事をしていたわけで、なんか世代の違いを実感してしまった(;^^)。海賊男が復活するのならば、同時期に存在していたディメンテイアも復活しないだろうか。で、仙台へ行き中山クンを恐怖のドン底へ叩き落とすのだ(笑)。
 おぉーい、ゆきたけ。眠れぬ森@The NETの表紙を変えたぞ。こんなんでよろしいでしょうか。表示されるまでに結構時間かかるけれど。
96年11月19日
 関派の広報誌「55YNG01」に手を加えていたら、夜が明けてしまった。全く何をしているか(笑)。さて、この「55YNG01」も、「WC積算鱈」も「関派」が運営する「内輪受けネタ高純度サイト」なのである。能く、「ホームページで世界へ発信。」と言うが、別段見る人が2〜3人でも作っている本人が楽しければ構わないのである。なので、僕の知り合いでインターネットプロバイダと契約している人は、総べからず、ホームページを持ってもらいたいと切に希望する。難しいことなんかありゃしないのであるよ、全くのところ。
 東京スポーツによると、あの「海賊男」が9年間の眠りを破って復活するらしいとのこと。なんでこうなるのだろうか?いずれにせよ、凄いことだよ、こりゃ(爆)。
96年11月18日
 11月23日のIWA格闘志塾大会には、スーパーライダー選手も参加するので、是非とも出かけたかったのだが、どうも行けなくなりそうだ。残念。と言うのも、生活基盤に怪しい影がヒタヒタと忍び寄ってきている感があるからである(おおげさな>自分)。
96年11月17日
 日本コロンビアから11月15日に発売されたCD−ROM「ハイパー日本プロレス全史」が届いた。早速、CD−ROMドライブへセットして使ってみる。が、しかし・・・。
 紙の本と同じ構成で作っても仕方ないだろう、とだけ言っておく。本と同様に年数順に内容を目にして行くのならば、余程本の方が使い勝手が良い。またまたCDラックの肥やしですね。これで、前版の日本プロレス全史(初回プレス)、日本プロレス全史(バグフィックス版)と今回のハイパー日本プロレス全史と同じようなものが3巻揃ってしまった(笑)。
96年11月16日
 それにしても、12月15日のアルティメットファイティング福岡ドーム大会が中止とは。この情報すら、東京スポーツに「らしい。」として出ていたのだから、正式な発表ではないようだが・・・。福岡ドーム大会は12月15日なのだから、開始まで1月を切っている。ここで気になるのは、福岡まで観戦に出かけようとして割引航空券を手配した人の存在だ。詳しくは知らないが、割引の航空券は払い戻しにいろいろと条件があったのではないか。一日も早く、正式な中止発表をすることを望みたい。
 ところで、ひらがなで「よしかわちさと」と書いてあるのを見ると、十中八九は「よしかわちさと」を女性だと思うだろうな。だが、オレはネットおかまじゃないからね。本名なんだからしょうがない。
96年11月15日(2)
 一日中眠くて眠くてボーっとして過ごしてしまう。こんなんじゃいかん。
 小太郎@Pの穴さんが新横浜にあるラーメン博物館へ出かけたとのこと。実のところ、ラーメン博物館から3分も歩くと僕の仕事場へ着く。なんか非常にすぐそばにいらっしゃったんだなぁと感慨。確かに、数日前から「横浜へ出張」とおっしゃっていたので何等かのレスポンスをすれば良かったのだが、あいにくと神奈川には一時的に住んでいるので、中華街についての知識が全くない。それゆえ、名乗りも上げられずにいた次第。申し訳なし。
 ところで、週刊ファイトは横浜駅へ行くと毎週水曜日午後発売となっている。が、新横浜駅では見かけない。それは、新横浜駅だけがJR東日本ではなく、JR東海であることに起因するのであろうか?東京近辺ではJR東日本の方針で自動改札機が全てに導入されて久しいが、新横浜駅は未だに人間が対応している。さすがに、鋏ではなくスタンプではあるが。でも、新横浜だけがイオカードを利用できないというのは不便だぞ。なんとかならんか。