97年3月
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97年3月31日
仕事帰りに近所の新井薬師へと立ち寄った。境内にある巨大な桜はまさに満開。夜空の中に無数の桜花が浮かんでいた。それを下からずっと眺めていたら、なんだか遠近感が強調され出してだんだんクラクラとしてきた。ずーっと、引き込まれて行くような感じに。
97年3月30日
好天に恵まれた今日、明るい日差しに誘われて秋葉原へと出かけた、って秋葉原ならば天気悪くっても出かけるけれど。今では自分のPCの性能と使い方のバランスに満足してしまっているのであまり大きな買い物はしなくなった。だからブラブラッと歩いて気に入りのラーメン店であるめんめんへ出かけてから、さらにちょこちょこっと買い物をしただけで引き上げてくる。僕は秋葉原名物とも言えるじゃんがラーメンへ入ったことも並んだこともないのだけれどもめんめんには秋葉原へ行けば必ずと言って良いほど足を運ぶ。行ってみそ。
で、今日買ったのは
MSのインテリマウス
、左右のボタンの間にホイールの付いているあれね。実際使ってみると思っていた以上に便利。マウスのホイールで画面のスクロールが出来るのでWebのブラウジングが今まで以上にぐうたらに出来る。この機能を使うためにWebブラウザをMozillaからIEへ戻しちゃった。MSのインテリマウス、試してみそ。
97年3月27日
気持ちにゆとりがあったので、ダンベルセットを振り回して、仕事続きで固くなりがちな体をほぐした。ちゃうど冷蔵庫に黒ビールが一缶あったので振り回し終えてからこれを飲む。極力自分の部屋では飲まないようにしているのだが、今日は妙に飲み心地がよい……。
で、誘惑に負けて追加の買い出し。飲みながらこれを打ったり、全くインチキな旧仮名遣いで書いたメールを出したりする。風邪早く直るといいね>インチキ旧仮名遣いのメールを出された人。
97年3月25日
「長州力を見たい」という友達と新日本プロレスの東京体育館大会へ出かけた。日比谷ではスーパーライダーがDDTのプレ旗揚げ戦を闘っていたので大いに気になっていたのだが、友達との先約が優先。東京体育館は職場から歩いて行ける距離にある。夕暮れの頃をプロレス会場へとぶらぶら歩きをするのは気持ちが良い。
東京体育館前の空間にはひどく多くの係員が「当日券売場はこちら」のプラカードを持ち口々にチケットは正規の窓口で買うようにと呼びかけていた。余程にチケットの売れ行きが悪いのか必死の呼び込みである。案の定、会場は集客が難しいと言われる東京体育館らしい客の入り。景気が良かったのはnWoのTシャツ売場ばかり。もっとも、nWoのTシャツ、あまりに売れていたので僕は買う気がなくなってしまった。
試合は淡々と進み、20時30分頃には全て終わってしまった。会場の制約で18時試合開始とは言え、本当に大会場でプロレスを見たのかしらと思ってしまうほどあっさりだった。同行した友人などは全試合が終了したのがにわかには信じられないようだった。もっとも、観客が立ち上がり出口へと移動し始めているのに「みんなどこへ行くのだろう。」と思っていたと言うのだから、この友人もいささかおっとりものではある。
その後、新宿へと移動して友人と台湾料理を食べながら過ごした。久しぶりだったので楽しかった。きっと今日は僕の中で「新日本プロレスを見に出かけた日」としてではなく、「新宿で友達と話をした日」として記憶されるだろう。その位に今日の試合はあっさりだったのだ。
97年3月23日
高崎の体育館へレスリング夢ファクトリーの試合を見に出かけてきた。会場が土足禁止であることを考慮せず(そもそも以前にこの体育館へ出かけたときは土足禁止ではなかったはずだが)に素足のまま靴を履いて出かけたりしたもので、すっかりと体を冷やしてしまった。そのためにか、今は悪寒と倦怠感に包まれている。このまま発熱したりすると忙しい時期だけにつまらないことになる。
高崎の体育館まではるばると(と言っても往復とも新幹線を使ったので、中野から横浜文化体育館へ行くほどの行程であったが)出かけたのは、メインイベントの天龍・太刀光(当初出場予定だった荒谷は首の負傷で欠場)対仲野・嵐を見るためである。そうでもなければ、2週間ぶりの洗濯を手早く済ませ、3週間ぶりに部屋の埃をはらってから13時の試合開始に間に合うように家を出るなんてことはしないのである。
▲腫れ上がった天龍の嵐は全てのものをなぎ倒していった。
寒さと闘いながら迎えたメインイベントの天龍はとてつもなくスティッフな試合ぶりだった。仲野をクチャクチャにして、嵐をイスで殴りまくる。嵐に見舞ったグーツッパリはこれまで聞いたことがない異様な音を発していた。殴られた嵐のダメージは言うまでもなく、天龍の拳にもそれ相応のダメージがあったであろうことは想像に難くない。
それでも、この荒れ狂う天龍はポジティブでなかった、あたかも行き場を失った膿液により大きく腫れ上がった膿疱のようにズキンズキンと痛みを発しているようにさえ見えた。
腫れ上がった膿疱は切開して膿液を排出させることで治療する、腫れ上がった天龍の中に溜まり込んだ何かを吹き出させて治癒させられるものは何だろうか。膿疱の治療は切開の痛みを越えねばならない、同じように天龍の腫れを取るためにも相当の痛みを覚悟の上で切開に臨まなければならないのだろう。痛みを乗り越えて切開に取りかかれるものはいるだろうか。
97年3月21日
WAR後楽園ホール大会へ出かけた。全体にトーンの落ち込んだ感じがするなんだかパッとしない大会だった。ただ、この薄暗い感じと47歳の燃え上がりきれない今日の天龍が、疲れた僕にはちょうど合っていたような感じがした。
旧くなった98ノート2台を廃棄したいという部署があったので、引き取った。引き取ってみると、2台のノートコンピュータのうち1台は98ノートではなく、カラー液晶を搭載した52ノートだった。この52ノート、新鋭機として導入された頃には1台あたり100万円近くしたはずのもの。
ホストコンピュータの端末として長く使われてきた5200シリーズも「今度の52は98ソフトも使えるので将来的にも安心。」と将来性がありそうで、実は先行きの不安感を隠せない宣伝を始めた頃から急速に活躍の場を奪われ、今となっては歯牙にもかけられなくなった。その52が安心のよりどころとして掲げた98もどんどん排除されていっている。一時代を築いたものたちの去り際は寂しい。
97年3月18日
全く最近じゃほとんど雑記帳しかメンテナンスされないので、プロレスリングに関して何らか新しい情報はないだろうかとアクセスしてくれる人には申し訳のない日々ではあるが、ここしばらくはこの状態が続かざるをえないままならぬ日々。状況が好転したらガーンと一発スマッシュヒットを飛ばしたいとは常々思っているので、待っていてくれると僕的には嬉しい。いくつかやってみたい気持ちはレスリングWebだけではなく持っているからバリッとやっつけることができるさ、いつかきっと。
今日、倉庫から15インチのディスプレイを運び出そうと箱を持ち上げたとたんに、相撲の「つり」についての奥義を会得した気持ちがした。ああ、大相撲中継で解説者が言っていた相手を腹に載せてつり出すとはこの感覚なんだなと……。あー、ただ腹が大きくなっただけだってかあ。
▲地震によって仕事は増えるは、払い戻しはせねばとJRも気の毒。
97年3月16日
土曜日の出張作業は最近ではまれにみるはまりまくりだった。作業がなかなか進まないうえにFDにエラーは起きるし、ネットワークは負荷かかりすぎなのかタイムアウトしちゃうし。そんなこんなで当日帰京するつもりが大阪泊まりに。まあ、ここまでは良いです。日曜日に鶴橋へ出て焼き肉を食べてから帰れば良いやと思っていたから。
で、やっぱり疲れていたのか、前夜さっさと寝たにも関わらずホテルのベッドで目が覚めたのが朝の9時53分!チェックアウトの時間がはっきりとしなかったけれども、よけいな延長料金を払うのは本意ではないので速攻でチェックアウト。ところであのホテル、何時がチェックアウトだったのだろうか。
鶴橋では一人で6000円分も食事をして満足と言うか、今の状況では食べること以外に楽しみがないと言うかなのだが、とにかく食べた食べたで新大阪駅へ移動。さっさとのぞみに乗ってうつらうつらと夢の中……。
新幹線にしちゃ随分な揺れを感じたのが名古屋駅をちょっと越えたあたり。そう、地震でございます。もう、そっから先は列車の中に延々軟禁状態。特急料金は払い戻してくれるそうだけれども、時間のままならない最近の僕にとってはやっぱり時間が惜しい。地震が起きるってわかっていたらグリーン車にしておきゃよかった。なんとなく、グリーンにしようかなとは思ったんだ、って今更言ってもどうしようもないけれど。
それにしても、なんでみんな列車が止まると、列車の中を動き回るのかな。ちょっとうっとおしいぞ。
97年3月14日
仕事を切り上げて、うちへ帰ってこられたのが午前2時過ぎ。いつもだったら「F**K」とでも悪態をつくところだろうが、今日は信頼できそうな歯医者を見つけてここ数日えらく不愉快だった歯茎の腫れを治療してもらったので、気分が晴れている。明日は大阪・西中島南方にある支所へ出張するので今日のうちに治療してもらえて良かった。まったく、金魚すくいのデメキンの目玉くらいには腫れていたような気持ちがしていたからなぁ。
明日大阪でリリースするWindows95上で動くプログラムは外部の会社に作ってもらったもの。ところが、このプログラムきちんと動かずにプログラムがハングアップしてしまうことがかなりある。で、試行錯誤の上に見つけだした対策が95のシステムモニタをあらかじめ起動させておくこと。監視していなければきちんと動かないプログラムなんて人間的過ぎ。
97年3月12日
たまごっちがはやっているじゃないですか、今更書くまでもなく。で、昼飯時の茶飲み話で出たのだが、そんなに何かを育てたければたまごっちなんかで満足せずに、自分の中に「共生生物」を住まわせたらどうだろうか、二枚貝の中に住むカニみたいな感じで。
『渋谷センター街を歩くコギャル、定番のへそ出し。ふと見ると、へその脇にカニが。かなり丹精して育てているようで、甲羅の色つやも良い。あんなファッションでちゃらちゃらと街を出歩いてはいるが、カニを見ると性根の優しさが感じられる。』なんてことをいつの日にか雑記帳に書いていたりして。
こんなことを書いていると精神を疑われてしまうので。もう少し現実的な話を。来年のウルトラセブン30周年を記念してビラ星人スナックとブラコ星人グミにグモンガクッキーを発売ってのはどう……。
▲取り外した空冷ファンにはこれだけのほこりが溜まっていた。これで、3ヶ月弱の成果だ。
97年3月10日
みんな忙しいのである。
ここ
も
そこ
も
あそこ
だって。こんな時に、自分だけ頭が痛いとか風邪ひいたとかハチの頭とかアリのおちんちんとか言っているのは、曲がないので、今日は建設的な話をしよう。
昨日4連装CD−ROMドライブを取り付けるためにPCケースを開けたついでに、とてつもない異音を発していた8センチ空冷ファンも取り替えることにした。これまで使っていた8センチ空冷ファンを取り外してためつすがめつ眺めて見れば、よくまあこんな小さなものがあれだけの異音を発していたものだなと感心したそれはもう凄い音だったのだ、この部屋に来た人間は一様に驚いて帰ったものだ。
さてはて、8センチ空冷ファンも新しいものに変えて、それはそれは静かなPCへと変貌し、あとは要らなくなった旧8センチ空冷ファンを燃えないゴミの袋へと丁重にたたき込むばかり。今生の別れとばかりに旧8センチ空冷ファンを今一度眺めると随分と汚い。「埃まみれ」と言う言葉はこれを見て作られたのだと言わんばかりに、埃まみれである。
で、これを見た僕は思ったね。PCの空冷ファンというのはいつだって回転している、だからこんなに埃が集まってしまうのである。だったら、いっそのこと、これにフィルタをつけて
空気清浄機
にしてしまうのはどうだろうか。今日日TVとPCが融合するご時世だ。PCと空気清浄機が合体したところで何の憂いがあろうか。インターネットTVならぬインターネット空気清浄機である。
実際問題5インチベイに内蔵できるクーリングファン&空気清浄機を秋葉原のノウムテクノロジーで販売したら売れそうだ、あの店ならば。タバコを手放すことの出来ないプログラマ、あるいは花粉症に悩むプログラマ……いくらでも需要はある(はず)。CPUの余剰能力を生かして空気清浄度を測定するのも良さそうだ。どうだろう。まさに、これこそジャーマンスープレックスホールドを喰らいながらもダブルフォールにしてしまって見事に王座を防衛してしまうNWA王者と同じくらいに建設的で無駄のない発想だ(と思う僕は大分に痛んできているかも)。
97年3月9日
僕の経験から行くと、レスリングハイのアクセスカウンタは毎週月曜日に一番回る。職場や学校の設備で見ている方がいるからだろうか。あるいは、日曜日にならばきちんとメンテナンスが行われているだろうから月曜日にアクセスすれば無駄がないと考えている方が多いのだろうか。
そんなこともあって、今日こそは気合いを入れてメンテナンスを行おうと思ってはいたのだが、どうにも頭が痛い。風邪をひいたみたいだ。せっかく今日は気晴らしの散財として4連装CD−ROMとウルトラマンクロニクルを買い込んできたのだが、それらを楽しむ気分にもなれない。たぶん、このzakki.htmをftpでputしたら全日本プロレス中継も見ずに寝てしまうだろう。とりあえず寝て明日に備えなければ。
こんなていたらくな日々に嬉しかったのは、芸文社から出ている「からくちNET」でかなり好意的な紹介の仕方をされたこと。まあ、たまには良いこともあるよな。
97年3月5日
僕は職場の机に17インチ2台と14インチ1台の計3台のディスプレイを設置して仕事をしている。で、今日は、はまりまくりでうちへ帰ってきたのが、午前2時半。なのにこうして自分の部屋にある17インチモニタを前にしてNETアクセスをしているのだから、なんともディスプレイまみれな生活だ。
97年3月4日
おややぁ、知らぬ間に
このようなこと
になっておった。インターネットエクスプローラ3を使っている向きは一度ご覧あれ。
97年3月3日
昨日買った日刊スポーツに「日本映画傑作選集」と銘打ったビデオ販売の広告が載っていた。僕は市川雷蔵の「眠狂四郎」「忍びの者」や勝新太郎の「悪名」などのシリーズが好きなので、じっくりと見入ってしまった。それにしても、それぞれのシリーズ、題名の発想が豊富でなんとも素晴らしい。「悪名」シリーズだけでも、「悪名」「続・悪名」「新・悪名」「新・続悪名」「第三の悪名」「悪名市場」「悪名波止場」「悪名一番」「悪名太鼓」「悪名幟」「悪名無敵」「悪名桜」「悪名一代」「悪名十八番」「悪名一番勝負」となる。
そこで、僕は考えた。毎日のように題名が変わるWebはどうだろうか。それだけでも楽しいんじゃないか。ちょうど、友達のフジケンがWebページを開設しようとしているので、早速メール、こんな題名を次々と使ったらどうだろうかと。
フジケン登場
続・フジケン
新・フジケン
新・続フジケン
第三のフジケン
フジケン無頼
フジケン殺法帖
フジケン七番勝負
密室のフジケン
フジケン対フヂケンの決闘
飛び出せフジケン
荒野のフジケン
フジケンのフジケソを消せ
フジケンの明日はどっちだ
フジケン一代
フジケン五つの誓い
フジケン必殺技大鑑
フジケン春秋
フジケン365
フジケン盛り
フジケン日和
フジケン二百十日
いかすぜフジケン
そしたら、当のフジケンから早速返答が来た。彼は
インターネットマンション
に住んでいるので、専用線でインターネットへアクセスしている。だから返事は早い。最近じゃインターネット雑誌の取材まで受けて
「もう引っ越せません。」
とか言っているわけだ。それはさておき、彼の返答は「記念すべき第一回の題名は『フジケン・○ヅ○ソ神○○弱』に致します。」本番前なので敢えて伏せ字にしておくけれど、素晴らしく
Cool!!だフジケン。
かっこいいぞフジケン。一日も早くフジケンWebを見たい。行け行け
!
フジケン
!!
。
97年3月2日
昨日は新大阪にある事務所で作業をしていた。Netwareを殴りつけ、Windows NTを蹴りつけて、Windows95をくちゃくちゃにするってな感じでさっさと作業を終わらせて事務所を出たのが16時30分。
The Feeling Badで教えてもらった
ところによると、十分にみちのくプロレス臨海スポーツセンター大会に間に合うタイミングだ。が、しかし、難波で乗り換えた僕が降り立ったのは鶴橋の駅、詰まるところ、みちのくプロレスを捨てて焼き肉を食べに行ってしまったのだった。プロレスファンとしてはその情熱度を疑われかねないヘタレな行動だが、最近仕事が立て込んでいて疲れていたから焼き肉を食べて体力の奇跡的な回復を図るのもまあ仕方無しかなと。で、僕が出かけなかったみちプロ臨海大会だけれども、どんな感じだったのだろうか?
鶴橋に出かけたときには必ずと言っていいほど「つるいち」へ行き黒ビールを飲みながら焼き肉を食べることにしているのだが、今回はちょうど夕食時間帯だったために行列が出来てしまっていた。一人で食事をするのに行列までする気分にはなれなかったので、別の店へ。が、しかし、ちょっと失敗だった気分。次に大阪へ行くときにはきちんと時間帯を見計らって「つるいち」へ行こうと思う。そう言えば、黒ビールの味を覚えたのは「つるいち」でのことだった。あの頃はキリンの黒だったが、昨年夏に行ったときアサヒの黒に変わっていてちょっと残念だった。あくまでも僕の感覚だが、黒ビールはキリンの方がアサヒよりもおいしく感じる。
ところで、「つるいち」で初めて焼き肉を食べたのはいつだったか。多分、SWSの姫路闘会始を見に行った翌日だったか、SWSの大阪闘会始の日だったか(同じ日だってば)。当時は、やたらに大阪、それも西成や天王寺近辺をカメラ片手に歩き回っていた、そう言う時期だった。
さて、今日はクラブチッタ川崎へjd’を見に出かけてきた。軽い気分で見たかったので、カメラにはジャンクで買ったレンズを取り付けて荷物も軽くぶうらぶうらと出かけた。ほぼ同じ時間帯には後楽園ホールで石川一家の旗揚げ戦があって数多くの
PWHPNZoNYTM計画メンバー
が集っていたようだが、疲れ取りに軽くレスリングを見たいときには、ボコンと膨れ上がった石川の腹を見ているよりも、人差し指の先でつついてみたくなる小杉のほっぺたを見ている方が何倍も幸せだ、僕は。しばらくはjd’に通うことになるだろう。ところで、今日の第一試合で白鳥の雪崩式DDTを喰らった元川はその後石川一家の興行で吉田と対戦したはずだが、大丈夫だっただろうか。元川が使い減りしやしないかとちょっと心配だ。