雑記帳CHiSAToY夜話97年9月中旬
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97年9月18日
デビットの中のデビット。
▲デビットの中のデビット。
ラ・サタニカはサタニコの必殺兵器。
▲ラ・サタニカはサタニコの必殺兵器。
デビュー戦で片山の頭突きを食らう川畑。
▲デビュー戦で片山のダイビング頭突きを食らう川畑。強烈すぎるプロの洗礼だ。
 今日は新百合ヶ丘の川崎市麻生スポーツセンターで行われた冴夢来プロジェクトへ行こうと思っていたのだが、台風が近づいてきていたことによる大雨にくじけて出かけるのを取りやめてしまった。この試合、何が行われるのかについて謎の部分が多かったので、興味深くはあったのだけれども。まあ台風じゃしょうがない(と言うことにしておこう)。
 ところで、今度の台風は「デビット」と言うそうだ。プロレスファンが「デビット」で思い出すとしたら、やはりデビット・サンマルチノでしょう。あまりに父親であるブルーノ・サンマルチノが偉大すぎたためにか、全日本プロレスへ呼んでもらっても最初から「員数レスラー」扱いだったし、ニューヨークでも成功へできなかったようだけれども、僕は90年3月24日に後楽園ホールで行われたデビット・サンマルチノ対小橋健太の試合を良く覚えている。当時、既に日の出の勢いにあった小橋との一戦だったからどうしたってデビットに勝ち目はなかったのだけれども、デビットは僕らの想像をはるかに上回る頑張りを見せてくれた。そのことは試合終了後に発生した満場の「デビットコール」が如実に物語っていたはず……。なのにどこのプロレスマスコミもデビットのことを評価しなかった。そればかりか「結局駄目だった。」みたいなことを書いたライターすらいたし。見たいよなぁ、デビット・サンマルチノ。あとアート・クルーズとか。そう思わない?(って、誰も覚えていないか)。
 さて、予定よりも早く帰宅したから、ゴロゴロと週刊ゴングを見ていたら、「サスケからダイオキシン」の全対戦カードが掲載されていた。で、良く見たらサトル・サヤマの対戦相手ってエル・サタニコじゃないか。あのエル・サタニコだぜ、サタニコ。サタニコはSWSの92年4月シリーズ「BATTLE MESSAGE '92」に来日していて、東京体育館大会ではウルティモ・ドラゴンとNWA世界ライトヘビー級戦を行って王座を防衛しているんだけれども、このシリーズでのサタニコ、はっきりと「凄かった」。今でも友達とメキシコのレスラーについて話をするときには「とにかく『サタニコ』」ってことになるくらいだからね。最高だぜ、サタニコ。こりゃ「サスケからダイオキシン」行くしかないな。
 ダイオキシンってキーボードを打っていたら川畑輝鎮(キシン)を思い出した、ベタベタだけれども。で、川畑輝鎮の父親は奄美大島生協界の大物である。僕も一度だけ飲みに連れていってもらったことがある、93年の9月だったな。で、その席で「息子さんのデビュー戦(91年9月16日SWS福井市体育館大会)を見ました。」とか話をしたのだけれども、なーんかお父さん、不機嫌でした。長男がプロレスラーであることはあんまり嬉しくなかったみたいだ。少なくとも、その頃はね。今はどうなんだろう。ちなみにお父さん、でかくて強そうだった。
97年9月16日
 さてさて何ぞ面白き試合でもないものかと各団体の興行スケジュールを眺めていたら、札幌テイセンホールが目に付いた。このテイセンホール、9月には16日(おお、今日ではないか)にJWP、21日大日本、22日Jd’と試合が詰まっている。なーんかいいねぇ。ちょっと行ってみたいけれども、さすがに札幌じゃあねぇ。ふーん、20日には旭川でJd’と羅臼の大日本かぁ……。えー、行きませんってば。
 「仕入れた「写るんです」をばらして、800のフイルムだけを抜き取り」ってのは僕もやったことがあるんだな。ただし、「どれどれフジフィルムが写ルンですのために特別にあつらえたと言うフィルムはいかがなものであろうか。」なんて好奇心に駆られたわけじゃなくて、なんと試合会場へカメラ一式は持ち込んだものの、フィルムをすっかりと忘れてしまったことがあったからなのだ。で、窮余の策として会場内にあった売店で「写ルンです」を買い求め、しかも「写ルンです」ってのはフィルムがプリロードされている(フィルムを先に全部パトローネ(ケースのこと)から出しておいて、撮影の済んだコマをパトローネへ戻して行く方式)ので、遮光して空撮りして……。で、ようやくばらした「写ルンです」からフィルム1本を取り出しのだけれども、その場では「ベロ出し」が上手くできなくて、結局使えなかったのだった。取り出したフィルムは家へ持ち帰り、そこで「ベロ出し」をして使ったけれどもね。「For Professional」と書かれた5本入りと20本入り(だったと思う)の箱詰めでISO800のフィルムが販売されるようになったのはもうちょいとしてからだった。で、1本ごとに箱に入って今の形式で売られるようになったのはマイナーモデルチェンジしてからだったから、フジフィルムも随分と慎重だったわけだな。
 さて、ISO800のカラーネガフィルムはフジフィルムの独壇場なのだろうと思っていたのだが、今調べたらコダックGold「これ一本」もISO800だったんだ。あの小泉今日子が大根とフィルムを比べる変なテレビCMをやっていたやつ。最近写真雑誌を読まなかったから知らなかったな。一度使ってみることにしよう。
97年9月15日
 おととい行われた
D.D.T.お祭りプロレスのレポートを作った。一通り作ってから思ったのだが、試合結果を載せることを忘れていた。まあいいや。試合結果よりも、その場の雰囲気の方が大事な場合もあるからな。きっと試合の結果は週刊プロレス雑誌に出るだろうけれども、サンダル持った子供は出ないだろうし。ところで、当然のことながら本人には断らずにサンダルを持った子供(あるいは ほかの子供も)の写真を載せているけれども、万一不都合があればご連絡を。
コニカK−mini主な仕様【使用説明書より引用】
形式 35mmレンズシャッター式フラッシュ内臓カメラ
画面サイズ 24x36mm
レンズ コニカレンズ28mmF6.7(3群3枚)、撮影距離0.9m〜∞
シャッター ビハインド式、メインスイッチOFFでシャッターロック
絞り 自動露出(3ステップ)
フィルム感度 自動設定(ISO100/200または400)
ファインダー 逆ガリレオ式ファインダー
フィルム装填 自動装填
フィルム給送 内蔵モーターによる自動巻き上げ(1コマ/秒)、フィルム終了で自動巻戻し、巻戻し終了で自動停止
フィルム枚数計 巻上げ順算表示、巻戻し逆算表示
フラッシュ 内蔵固定式、撮影範囲:0.9〜2.3m(ISO100)、0.9〜4.6m(ISO400)、発光間隔約5秒
電源 リチウム電池(CR123A、DL123A:3V)1本
大きさ・重さ 110x61x32.5mm、135g(電池別)
 板橋の試合にはオリンパスOM2−N(マニュアルフォーカスの一眼レフ)、QV−10A(言わずと知れたデジタルスチルカメラ)そしてコニカのK−miniを持って出かけた。このK−miniってのはヨドバシカメラで4000円くらい出して買ったカメラで、位置づけ的には「捨てないんです」つまり、フィルムの交換ができる「使い切りカメラ」って感じのものなのだけれども、スペックから思っていた以上にちゃんと撮れるカメラだ。「写真なんてあんまり撮らないから使い切りカメラで良いやぁ。」としている人には絶対のお勧め。使い切りカメラの値段ってのが良く分からないのだけれども、きっとあれを数個買う値段でK−miniが買えるんだからこっちの方が良いよ。たしかフジフィルムからも似た位置づけのカメラがあったけれどもサイズ的にもK−miniだね、お勧めは。
 ただね、K−miniをはじめとする廉価系コンパクトカメラできれいに撮るにはフィルムの選択もポイントだと思うんだ。フィルムはフジフィルムの「フジカラー SUPER G ACE 800」をお勧めするね。このフィルム、フジカラーにだけあるISO感度800のフィルムなんだけれども、もともと「写ルンです」の撮影仕上がり具合を向上させるためにフジフィルムが開発したってだけあってこの手のカメラでも使いやすい。カラーネガフィルムでの撮影は露出がアンダー(不足)になるよりもオーバー(過剰)になったほうが発色が良く仕上がりがきれいだから、とかく露出がアンダーになりがちな廉価系コンパクトカメラでは、よく使われるISO感度400のフィルムよりも1段感度が上のSUPER G ACE 800が良い結果になりやすい。「感度が上がると写真のきめが荒くなるんじゃ。」と思う人もいるだろうけれども、そもそも廉価系コンパクトカメラで撮影した写真ってそんなに大きく引き伸ばすわけじゃないと思うから、写真のきめを心配するよりも、とにかく発色良く撮影しておくことが気持ちの上で大事さ。手元のカメラでISO感度800の設定ができないようだったらISO感度400にして撮影すれば良いし、僕のK−miniもそうなっている。とにかく、コンパクトカメラを使っていて「なーんか撮れた写真が暗いんだよなぁ。」と思っている人は一度SUPER G ACE 800を使ってみ。もちろんピーカンなときにもこのフィルムで十分に写真が取れるから、入れっぱなしにしときゃいいのさ。
97年9月14日
 金沢から帰ってきてからと言うもの三晩続けてプロレスを観に出かけ、そして飲むと。さすがに疲れてしまって今日はグズグズと寝続け。そのくせ夜中になってから中野のすし屋へと出かけて冷酒を一杯と肴を三つ四つ、一人でボーッとつまむ。何してんだろうなぁ、まったく。
ゲンイチロウ 対 天龍の決闘。
▲ゲンイチロウ 対 天龍の決闘。
そんなことしたら、これ、投げるからね。
▲そんなことしたら、これ、投げるからね。
ごめん、ライダーが悪かった。
▲ごめん、ライダーが悪かった。
おいおい、君たちどこ覗いてんだよ。
▲おいおい、君たちどこ覗いてんだよ。
バトルロイヤルで優勝した野沢選手はお米をもらっていたのだが。
▲バトルロイヤルで優勝した野沢選手はお米をもらっていたのだが。
 12日のWAR後楽園ホール大会。とてつもなく盛り上がった興行だった。金沢大会で天龍に似た試合運びを見せていた平井は天龍と同じリングシューズと黒く股上の深いタイツを身につけて「ニセ・テンリュー」として登場。対戦相手が天龍と藤原だったのでとことんきりきり舞させられてしまっていたが、その意気込みはいいぞ、いいぞ。ところで天龍自身はシューズを新調していたから平井のはいていたのは本当に天龍のシューズだったのかも知れないな。
 このWAR後楽園ホール大会にはFREAK OF NATUREの麗一さんが観に出かけられたのだが、大満足だったとのこと。良かった、良かった。それにしても、12日の後楽園ホール良かったぞぉ。あの後、数時間猛烈にテンションが上がったまま飲み続けてしまった。
 ここの日記で取り上げていただいた雑記帳のセルフポートレート、13日に板橋都税事務所前で行われたDDTお祭りプロレスではインディペ・プロレス通信の野津さんにも声をかけていただいた。あのセルフポートレート、僕が使っているQV−10Aにはセルフタイマーがついているので、それを使って撮っている。液晶ファインダで構図をチェックしてからセルフタイマーのボタンを押しておもむろに「立ち位置」へ戻ってやぶにらみかなんかをすると言う……。まあ端から見ているとかなり不気味な様子だろうなぁ。ところで、セルフポートレートと言えばここのものがかっこいいよね。
 さて、13日のDDTお祭りプロレス。これも良かったなぁ。何が良かったって、試合を見ていた子供たちのリアクションが最高。今の日本にもこういう子供たちがいたんだなと懐かしい感じがした。こんな光景はもう日本のマットシーンでは見られないのかなと思っていたんだけれども、やっぱり子供は子供。入場無料の大会ならではの光景かも知れない。ところで、ライダーにサンダルを投げつけようとした子供、いつもあんなふうに怒られているのかなぁ。
 DDTお祭りプロレスでは「レスリングハイをいつも読んでいます。」と夢ファクファンで「草魂」を作っていらっしゃる方から声をかけていただいた。こんな風に声をかけていただいたり、あるいはWebページで取り上げていただけることはとても嬉しい。で、このかたにご紹介いただいたのが「独立プロレス研究所」のTAKEさん。さらに「あの方が……」と教えていただいたのが「原色怪奇派図鑑」のれねさんだったのだが、れねさん、すっかりハイになっていて選手入場の際には地面をたたきながら受けまくっていた。ちょっとびっくり……。
 このDDTお祭りプロレスは面白かったので、久しぶりに観戦レポートで写真を紹介するつもり。ちょっと待ってて欲しい。そう言えば、ワジマカードも新しくしなくちゃ。えーっと、ワジマカードの古い番号のものはサーバからは削除していません。JPGファイルを直接指定するようにurlを打ち込むと出てくるはず。
 DDTお祭りプロレスが終わってから新宿へ移動して、大学時代に所属していたプロレスファンクラブのOB会へ参加。久しぶりに会った人もいたりして嬉しかった。が、なにぶん連夜の酒席だったので、後半はほとんど寝ていると言うていたらく。お開きとなって店から新宿駅へと歩いていたら、なぜか?路肩に野沢がポツンと一人で座っていた。こっちは酔っていたので、声もかけず、写真も撮らなかったけれども、一緒に歩いていた野沢を見たことがある3人が3人とも「あっ、野沢。」と言ったからやっぱり野沢だったんだろう。バトルロイヤルでもらったお米は持っていなかったけれども。何してんだ??。