雑記帳CHiSAToY夜話 97年11月
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97年11月25日
 昨日の天龍対藤原戦。帰りの関内駅で無邪気に天龍チョップを繰り出す子供がいたことだけが救いだったような気がする。速報はこちらに。
97年11月23日
 寝袋の中で目覚めたら、と言っても野営をしているわけじゃなくっていつも自宅でもこうしているんだけれども、妙にだるい。どうも、おととい歩き回った疲れが残っているようだ。
 おととい、この日はWARの京都KBSホール大会を見に行くことになっていたのだが、前日から新大阪の宿にいた僕は試合が始まるまでの時間を、まずは琵琶湖・浜大津にある水族館でビワコオオナマズを見ることで過ごそうと決めていた。たしか、12年前に、ここでビワコオオナマズを見て感動したのだった。
 朝もやの残る浜大津に着いた。が、しかし水族館はなかった。水族館だと間違えて記憶していた琵琶湖資料館は改装中で、一般公開はお休み。うむむ、出だし悪いよなぁ。
 仕方ないので、そばにあった京阪に乗った。まったく行方に当てはないのだけれども、何とかなるだろうと。で、列車の中で琵琶湖博物館のポスターを見かけた。はーん、聞かない名前だけれども、いいや、ここへ行こう。
 琵琶湖博物館の最寄り駅は草津駅だ。草津駅に着いたら「博物館はあっちの方ね。」と合点して、さっさと歩き出した。ところが30分も歩いただろうに、博物館や琵琶湖に一向近づいた気配がない。なんかこれって、SWS富山大会を見に行った時に、富山駅から日本海まで2時間かけて歩きとおした時と同じような感じが……。
▲博物館への道を歩きつづける。もちろん、こんなところを歩かなくても博物館へは行ける(はず)。
▲博物館への道を歩きつづける。もちろん、こんなところを歩かなくても博物館へは行ける(はず)。

 いくらなんでも2時間歩くのはおっくうだったので、とりあえず目の前に来たバスに乗った。全く当てはなかったが、運良く、博物館への道のり半ばまでたどり着ける路線だった。終着点は田んぼの中にある空き地。降りた乗客は僕一人だったけれども、ここには大きな矢印と琵琶湖博物館と書いた看板があるんだから、もう近くなんだな、と農道(!)を歩き出した……。
 結局ここからも1時間ほど歩かされたのだ。田んぼを越えて、排水路を越えて。なんでこうなるかね、いつもいつも。博物館に着いた頃にはすっかりヨレヨレだ。でも、当然のことながら、ほかの人たちはそんなことはない。こんなに延々と歩かなきゃ来られないような博物館だったら、ニゴイをチョウザメだと言い張るおばさん(見学者にはこんな人がいたのである)なんか来られないよね。
 帰りはこんな目に会いたくはなかったし、なによりKBSホールでの試合開始時間に遅れることは避けなくちゃならないので、博物館のある烏丸半島から琵琶湖対岸の大津までシャトルボートで移動することにした。ところがこのボートえらく不人気。博物館の見学者はあんなに沢山いたのに、シャトルボート(ボートと言っても東京の水上バスと同じサイズだ)に乗り込んだのは僕一人。貸し切り状態だ。
▲一人きりの船内に、「西側をご覧ください……」とアナウンスが流れたら、見ざるをえんよなぁ。
▲一人きりの船内に、「西側をご覧ください……」とアナウンスが流れたら、見ざるをえんよなぁ。
 貸し切り状態のままボートはスタート、のはずだったんだけれども、ちょっと動いたら止まった。船員の動きがあわただしい。あっ、船員がこっちへ来たぞ。「故障したから別のボート乗り換えて欲しい。」って、なんともトホホな。乗客が一人しかいなくて、ボートは壊れて……。これで経営がなりたっているのか。
 当然のことながら乗り換えたボートも乗客は僕一人。乗客は一人でも、決まり通りの船内アナウンスが流れる。琵琶湖周航の歌だの、沿岸の観光案内などと。一人きりの船内で「西側をご覧ください。」と言われたら素直に見なくちゃいけないような気になって、一所懸命に外を眺めていたら、目が痛くなって涙が出てきた。でもさぁ、いきなり「西側を」って言われても一見の観光客に東西南北が分かるのかね。

▲明るい日差しの中、紅葉の山を見ながらの列車旅は気持ちが明るくなる。
▲明るい日差しの中、紅葉の山を見ながらの列車旅は気持ちが明るくなる。
▲この二人の命運は12月23日に決まる。
▲この二人の命運は12月23日に決まる。
 まあ、こんなそんなで疲れは残っていたんだけれども、今日はWAR諏訪湖スポーツセンター大会へ出かけてきた。行きの中央線は明るい日差しの中を進む。高尾を越えたあたりから沿線は紅葉の山。うーん、良いねぇ。こう言う旅は気持ちが明るくなる。スポーツセンターへも順調に歩きつけたし、今日は文句ないや。
 今日のメインイベントは天龍・嵐対北原・荒谷。北原と荒谷は来月23日に日本J1選手権トーナメントの2回戦を闘うことになり、KBS大会でも舌戦を繰り広げた中だけに、今日のタッグチームは意地の張り合いが見られるはず……だったのだが、今日の荒谷は開始早々に腕を痛めてペースダウン。荒谷の見せ場もないままにフィニッシュは天龍のボストンクラブ(ハーフボストンではなく、両脚を抱え込むほうだ。これはちょっと珍しく思う。)。天龍が荒谷の脚を両腕で抱え込み、グイと反ったとたんにギブアップ。もう一踏ん張りが必要な時に、踏ん張れない、もう一歩踏み込めばと言う時に踏み込めない。これが今の荒谷のように思える。試合後に北原と乱闘し舌戦を繰り広げた荒谷だけれども、見ているほうとしては、大丈夫なのかと言う感じだ。
 12月23日の試合(上田馬之助AID)はWARの興行ではなく、各団体のファンが集まる興行だ。あえてここでJ1トーナメントの2回戦として北原対荒谷が行われる意味と意義を満たす試合を石にかじりついてでも見せて欲しい。それを見届けるために、僕は見に行く予定のなかった12月23日のチケットを1万円を無理にも出した買ったんだからな。
 今日のWAR、密度濃く感じたのに実際の時間は短かった。15時試合開始で、18時前に上諏訪駅へ戻ってくることができた。これならば今日中にフィルムの現像が終わるかもしれないと、ちょうど入線した特急に飛び乗った。早く帰れるのは嬉しいな。
 と、嬉しい気分で一日を終えるはずだったのに……。中央線は貨物列車の事故で大幅な乱れ。僕の乗った列車は3時間半遅れて23時半に新宿へ着いた。規定により特急料金は払い戻しされたんだけれども、3時間半を無駄にされて2100円を戻してもらっても嬉しくはないな。ところで、特急に飛び乗らずに普通列車で帰ろうとしていたらどうなっちゃっていたんだろう。

97年11月20日
 とりあえず簡単に結果だけを書いておこう。注目していた天龍・折原対北原・安良岡だが、北原が折原をジャンピングパワーボムで沈めた。これを食らった折原は試合が終わっても立ち上がることができずに、天龍が折原をおぶって控え室へと帰っていった。試合中も終始天龍が折原にピンフォールを獲らせようとセーブに出たりと、少なくとも天龍は折原の「帰郷」を認めたようだった。
 メインイベントの嵐対荒谷は、ヘビー級のタフマッチ。最後は嵐がパワーボムで勝利。荒谷は明日のKBSホールで平井とのJ1トーナメントに望むが、これで良いのか。試合後厳しい目つきをしたまま、動かなかった武井WAR社長が印象的だった。
97年11月19日
 時間があったので、フィルムを買いに行く。カメラ店へ向かう途中、理髪店でひどく大きなはさみを使って客の鼻毛を切っているさまが目に入った。なんだか拷問みたいに見えてくすくすと笑い出してしまった。この理髪店、ウィンドウに「ロゲイン入荷します。」と書いてあるのだが、肝心の店主がロゲインを使っていないか、もしくはロゲインに全く効果がないかのいずれからしく、まことに説得力がない。
 フィルムを買ってきたら、最初に紙箱からプラスティックのフィルムケースを取り出して、これにテープを張るのだ。テープを張って、不意にケースのふたが開いてしまわないようにするのだけれども、張りかたに僕自身のローカルルールがあって、中に入っているフィルムが未撮影、撮影済み、あるいはケースが空かなのかがわかるようにしている。テープにはいわゆるバンテージ(布バンソウコウ)の細いものを使っているので、これには鉛筆やボールペンで書き込みもできるし、また、手触りで前述の未撮影、撮影済み、空、の判断もつけやすい。
 フィルムを買い込んで何をするかと言うとだ……、結局WARの姫路大会へ行こうと思っているのだ。僕にとって北原と折原の絡みってのはかなりに食指をそそられる。SWS時代にこの二人の絡みは何度も見たのだけれども、それはそれは北原のきついアタリが印象的だった。WAR時代になると、北原、折原ともに別々の対戦相手がいたためにか、この二人の絡みは印象に残っていないのだけれども、とにかくSWS時代のそれは凄かったのだ。
 SWS時代と言うからには、少なくとも5年強の歳月が過ぎているわけで、その間の紆余曲折を踏まえての対戦だ。もちろん、J−1トーナメント一回戦で嵐を破って勢いに乗る北原が天龍に当たるって見所もあるんだけれども、やっぱり北原−折原だな。ただ、折原はKingdom札幌大会の翌日がこの試合になるので、そのあたり相当にきついだろうが。
 SWS時代に北原に「イジメ」られた(あくまでもリング上での話し)と言えば、維新力もかなりのものだった。その維新力は来年早々に「フーチャン」と対戦かぁ。フーチャンねぇ。
 そう言えば、SWS時代の北原って、キング・ハクには滅法弱気だったよなぁ。この「下には滅法強く、上には滅法弱き」のコントラストが強烈で、よく友達とは「(このレスラーは)北原以上、北原未満」だなんて線引きをしていたことを思い出した。この「北原線」、どこまで上がったか、J−1トーナメント、特に12月23日の上田馬之助激励大会でしっかりとレスリングファンに見せ付けて欲しいんだが。
97年11月18日
 時間のゆとりができたので、後楽園ホールでGAEA JAPANを見てきた。いつもだったら、ニコンのN−FM2にモータドライブMD12をつけたものと2kg弱の80−200mm 1:2.8のズームレンズを持って出かけるのだけれども、今日はぶらりと後楽園ホールへやってきましたといった感じでいたかったので、ニコンはニコンでもFM10と言う、本当にニコンと呼んでしまっても良いのだろうかと思うようなカメラに、5000円ほどで買った中古のシグマ70−210mm 1:4−5.6ズームレンズを無造作にカバンへつめこんで、出かけた。
 こんな力の抜け具合で出かけた後楽園ホールだったけれども、まあ満足できたかな。KAORU・山田組がどうにもこう、名はあるんだけれども力は……ってな感じ、言わば「木村健吾・木村健吾組」みたいな感じがしてしまってたるかったなぁ。もうちょっと何とかならんものかな。
 その他の試合、例えばセミファイナルのアジャ・コング・植松対里村・加藤(園)なんかは、動き回るレスラー達の鼓動と息遣いと、体を駆け巡るアドレナリン……なんてのを感じさせるような、見ているものもハイにさせる試合だった。やっぱりプロレスリングってのは、見ているものに途切れることのない興奮状態を与えられなくちゃ。
 ところが、前述のKAORUと山田は見ているものの気持ちをブツリ、ブツリと切ってしまうから困り者。シュガー・永島組のセコンドについていた尾崎が何をしようと、逆にそれを利用してくれるくらいじゃないと。なんか、KAORUと山田はちょっとさめてレスリングをしているんじゃないのかな、そのなことを感じさせた。
 メインイベントが終わって、マイクを握った広田が猛闘武賊に向けて放った「私が19歳だからって……。」ってのは良かった。良かったけれども、その後で猛闘武賊、長与、その上北斗までが延々とマイクアピールを続けていて、なんだか締まらない感じ。なんかにくだくだしいマイクアピールはいらないよ。
 試合が終わって、エレベータに乗ろうとしたら知り合いがいたので声をかけたら、僕がGAEA JAPANを見に来ていたことが意外だったようだ。確かに、初めて見に来たんではあるけれどもね。「今年中に一通り見ておこうと思って。」と言ったら、「なんか死んじゃうみたいなこと言っているね。」と言われちゃった。いくらなんでも、まだ死なないよ、たぶんね。
97年11月16日
 3WebのSMTPサーバ(Eメールを送信するために使うサーバだ)を悪用してスパムを大量に撒き散らした輩がいたとのことで、3WebのSMTPサーバは、3Webのアクセスポイントから接続したときでないと使えなくなってしまった。いろいろな場所からEメールを送信する僕にとっては大きな問題である。
 そんなときに便利なのがジオシティーのメールサーバなのである。ジオシティはサーバサービスだけを提供しているので、どこのアクセスポイントからでも利用することができる。Eメールを受信するサーバは今までどおりに3Webのものを使い、送信のときだけジオシティーのサーバを使う設定にして、早速実用に供してみたが全く問題なく使えている。ありがたきかなジオシティー。
 こんなわけでジオシティーに世話になることが増えた。恩義を感じてと言うほどのことでもないのだけれども、ジオシティから借りているWebスペースの「レス・ハイ ファイト」をメンテナンスした。過去の資産を使っただけだけれども、まあとにかく新しくはなったので、ぜひ一度お立ち寄りを。
 レス・ハイ ファイトは僕の2個所目となる個人Webページなんだけれども、12月からはニフティーサーブが5MBのWebサーバスペースを貸してくれると言っているから、そこでも何かを始めることができる。さて、何をしようかな。
97年11月15日
 最近なんだかイライラ続き。仕事をしている時なんか最低の気分だ。何がいけないのかなと考えてみたら、職場で使っているキーボードがいけないのかも知れないと思い当たった。今週は仕事でも家なり大量にHTMLのタグを打ち込む必要があったりして、キーボードに触れる時間が長かったからね。
 自宅ではマイクロソフトのナチュラルキーボードを使っている。今じゃすっかり手になじんで、一番気に入っているキーボード。このキーボードの手前側についている脚を立てて、手首を載せるようにして使っていると、もう、いつまででもタイピングできるんじゃないかと思えるくらいに、快適。職場では通常の101キーボード使っているんだけれども、職場でもナチュラルキーボードを使おうかなと。
 職場のキーボードを買い換えようと考え出したら、もうひとつ気になったキーボードがHappyHackingKeyboard(以下HHK)だ。これは納得のゆくキーボードをどこへでも持ち運んで使えるように作られた(と僕は把握している)もので、丁寧な作りをされているとのことだ。そのためにか、値段もかなりのもので通販価格で29800円。前述のナチュラルキーボードは10000円弱で買うことができるから、HHK一つに対してナチュラルキーボードが3個買えることになる。それだったら、ナチュラルキーボードを3個買って(実際には3個も買わないけれども)、よく作業をする3個所においておいたほうが良いよねぇ。
 と言うことで、秋葉原まで出かけてナチュラルキーボードを買ってきた。OEM版を買ったので、1月に買った時よりも少し安くなったような気がする7980円(税別)。これで少しはイライラも収まるかな。このキーボード、かなり大きいのだけれども机を大きくしてでも使う甲斐はあると思うよ、実際のところ。
 さて、秋葉原まで出かけたので今日から発売となるWARの12月24日大会のチケットを買う。後楽園ホールでの試合なのに天龍−藤原戦の勝者対北尾と言うビックカードが組まれているので、発売即完売……ってなことはなく、全然売れていなかった。まあ発売当日の昼間だったからね。今回のチケットは日本J1選手権ベルトをデザインに取り入れたものだったので、実券を入手したかったんだけれども、諸事情によりチケットセゾンで購入したので、いわゆるコンピュータチケットに。昔はこのコンピュータチケットを当日窓口で実券に取り替えてくれたんだけれどもな。多分セゾンやぴあに委託した分は実券を作っていないだろうから、売れ残ったチケットでも良いので、試合終了後に取り替えてくれないかな。残しておくのならば、実券がうれしいよね。
97年11月13日
 ちょっと油断すると、日々はさっさと過ぎ去るもので、Chisatoy夜話を書くのも久しぶりだ。この間僕が何をしていたかというと、WindowsNTサーバに振り回されていた時間が一番長かったように思う。あれもなんだか、いろいろと面倒なものではあるね。
 来週火曜日からシリーズが始まるというのに、ようやく今日発売の週刊プロレス専門誌で全カードが発表されたWARの11月シリーズ「CHAMPION OF R ’97」。当初いわれていた力道山ベルト争奪戦は試合数の少ないものとなり、トーナメント戦が行われない会場もあることになったから、ちょっとばかり「ありゃ」って感じを持つことは否めない。
 そのトーナメント戦のない会場は姫路と諏訪なんだけれども、トーナメント戦がない反面、姫路では「嵐対荒谷」「天龍、折原対北原、安良岡」、諏訪では「天龍、嵐対北原、荒谷」と「見たい」と思わせる試合が組まれている。諏訪は日曜日だし、それほど遠い土地ではないからねぇ……。
▲暮れなずむ安中の町、岩肌を見せる川の様相からかなり遠くまでやってきたことを実感する。
▲暮れなずむ安中の町、岩肌を見せる川の様相からかなり遠くまでやってきたことを実感する。
▲安中の駅で居合わせた川畑選手。彼らが乗ったタクシーの行方から体育館の位置を探る。
▲安中の駅で居合わせた川畑選手。彼らが乗ったタクシーの行方から体育館の位置を探る。
▲体育館の位置を知らせ、足早に過ぎ去る茂木選手。
▲体育館の位置を知らせ、足早に過ぎ去る茂木選手。
97年11月5日
 おとといのことになるが、「
ウィークエンドフリーきっぷ」のもう一日を利用して大日本プロレス安中大会へ出かけてきた。安中とは、群馬県にある町で、高崎からJR信越本線に乗り10分ほどのところにある中山道の城下町、宿場町である。
 安中の駅前にはほとんど何もなかった。「安中中央体育館」の場所も確認せずに安中の町へとやってきてしまった僕はとたんに不安に包まれる。せめて路線バスでもあればと思っていたのが甘かった。友人宅へ電話をかけて「なにか知らないか。」と問うてみたがこれも効果なし。残された手段は……。タクシーだけには乗りたくない。金がないわけじゃない(余っているわけでもないが)。それじゃつまんないじゃないか。
 そんなところに一筋の光明が。なんと同じ列車に石川一家の川畑選手と松崎選手が乗り合わせていたのだ。彼らは「ビジネス」だから迷うことなく駅前のタクシーに乗り込む。で、そのタクシーが走り去る方向はと。ふーむ、あっちか。ならば僕もあっちへ歩こうと。割合にいいかげんだが何とかなるだろう。でも、最終の上り列車(高崎方面)は21時49分だから駅からの所用時間はチェックしておかなくちゃ。
 街道筋を歩く。この街道が行き着いたところに市役所があるはず。最悪でも市役所にたどり着ければ体育館の場所は分かるだろう……、こんな気分で随分と歩いたが、大日本プロレスの開催を継げるポスターを頻繁に目にするだけでなかなかに目的のものは目に入らない。
 ところがである、全くひょんなことから体育館へたどり着くことができたのだ。とある十字路に差し掛かったとたんに目に入ったのは、華やかな彩りのトレーニングウエアに身を包みジョギングをする男。唖然として彼を見つめてしまった僕を「なにやら風体の怪しいやつ。」とでも言いたげに一瞥して走り去った彼は、よくよく見ればレスリング夢ファクトリーの茂木選手である。
 「あはあは(安堵の余りちょっと情動失禁気味)、あれに付いて行きゃいいんじゃん。」と僕は茂木選手の後をつけることにした。向こうはジョギングだが、僕はニコン一式を入れたバッグを持っているので走る事はできないが(今思えば、走って付いて行ったらそれはそれで奇妙な光景だっただろう)、見え隠れに付いて行く事はできる。角を曲がって、もう一つ角を曲がって。
 「もうそろそろ着かないかな」と思いながら茂木選手が消えた三つ目の角を曲がったら、ありゃ、茂木選手がこっちへ向かって走ってくるぞ???。もしかして、ここが折り返し地点。体育館はまだ遠いのか。だとしたらもうやってらんないぞ。
 しょうがないから茂木選手に話し掛けましたよ「すみません、体育館はどこでしょうか。」って。そうしたら茂木選手いわく「いやぁー、この当たりなんですが、僕も迷っちゃったんですよ。」、うひゃひゃひゃ、選手も迷うようなところにある体育館なのか。「茂木選手はジョギングに出かけたまま帰りません。そのためこの試合は茂木組の不戦敗です。」ってアナウンスされたら場内騒然、いや爆笑だろうな。
 まあ、実際には体育館は直ぐそばにあって、茂木選手は「あっ、ありました。あれですよ。」って走り去っていったので、僕も体育館にたどり着けて、大日本プロレスを観てこられたわけだけれどもね。こんな楽しみがあるからレスリング観戦の遠征はやめられないよ。それに、会場へのアクセスはやっぱり歩きが基本だね。あん、クルマが楽だって言ったじゃねぇかって。いいんだよ、そん時が楽しけりゃ(笑)。

▲山形駅からは左沢線に乗って行く。
▲山形駅からは左沢線に乗って。流れる川は最上川。
▲「バキャーン」ってのは確かに痛そうだ。
▲「バキャーン」ってのは確かに痛そうだ。
▲満員の観客の中をマジックマンが進む。
▲満員の観客の中をマジックマンが進む。
97年11月2日
 休日出勤をして職場のLAN環境をモニタリングして不良ノードを取り除く作業をする予定だったのだが、直前になってキャンセル。今日は予定外の休日となった。
 「小人閑居して不善を為す」と言うくらいなので、予定もなく休日を過ごすことはよろしくない。そこで、かねてより使ってみたいと思っていた「ウィークエンドフリーきっぷ」を使って出かけることにした。行き先は山形県中山町。みちのくプロレスである。
 中野の自室を8時30分に出て、中山町総合体育館に着いたのは12時30分。4時間の工程、近いような遠いような。まあ、ほとんど新幹線で座っていたからラクチンだったよね。それにしても東北の空は広くて高いよ。かつて北上川を下った時と同じような感慨が。体育館の隣が最上川だったので、川縁へ行く。このまえ東海市へ出かけた時に列車の中から見えた川はどれもこれも渇水状態でなんとも悲しい限りだったけれども、最上川は元気だ。季節が良ければフネをかついで来ても良かったな。
 今のみちのくプロレスと言えば、経営難についてよく言われているけれども、今日の会場はよく観客が入った。山形市の直ぐそばと言う地の利もあるんだろうけれども、これだけ入っていれば経営的には安心なんじゃないかな。ほかの会場はどうなんだろう。
 開場待ちの列を見ていると常連客の割合が殊のほか高いように見ててくる。クルマでの移動が必須のこの土地だから、追いかけるほうもその気になりやすいのかも知れない。地方の開場でレスリングを見るのであれば、クルマで出かけるのがラク。帰りの脚を気にする必要もないしね。実は、今日も帰りの左沢線を捕まえるためにひどく走ったから。一眼レフカメラを一セットとリブレットの入ったカバンを片手に走ることがどれだけしんどいか……。
 さてと、試合だけれども全5試合、始まったのが15時ちょっと過ぎで、終わったのが16時50分くらいかな。ちょっと珍しいくらいにスピーディーな興行だ。試合数の多い少ないとか、時間の長い短いは満足度合いとは関係のないものだけれども、なんとなく今日の僕は満足しきれなかったな。なんでだろ?僕の感受性不足かな。うーん。