雑記帳CHiSAToY夜話 97年12月下旬
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97年12月28日
 今日の東スポ、「独断決定’97裏プロレス大賞」にある「みじめー大賞」で、見出しに「後藤・小原」ってのが並んでいるじゃないですか。これってどこかで見た事あるなぁと思ったら、これだね。7月に出かけた延岡の街中で見つけたものだけれども、偶然とは言え面白い。なんたってそのまんまだものな。
 明日から2泊3日の予定で旅行に行く。なんと今年始めてレスリングマッチが全く絡まない旅行だ。琵琶湖北部のあたりをブラブラと。以前だったら「これで年内最終更新……」となっただろうけれども、今ではリブレットを初めとしていわゆるモービルコンピューティングの道具が揃っているので、気が向けばいつでもメンテナンスできるので、いつが「年内最終」ってことも言えないね。
 マット界もその昔は最強タッグリーグやMSGタッグリーグが「年内最終」だったけれども、今じゃどれが最終とはにわかには分からないくらいに年末興行が目白押しで、その上1月も2日から試合が組まれているから、年が変わるも変わらないもあんまり関係ないような印象だな。
 ところで、98年にここはどうなるんだろう。すごく重宝していたんだけれどもな。
97年12月27日
92年10月8日に折原と対戦した北原。 92年10月8日に北原と対戦した折原。
▲92年10月8日のWARワンナイトトーナメントでは、WARが二人に与えようとしたが。
 昨日の東スポ、ようやく北原の動向についてはっきりした記事が出た。北原は選手会長を辞任するものの、WARを主戦場として闘いつづけていくようだ。で、98年1月シリーズでは、既に発表されていたカードはキャンセルされて、新たに北原・折原の「暫定」タッグチームとして闘ってゆくことに。
 北原、そして折原と並んだ時に思い起こされたのが92年10月8日に後楽園ホールで行われたワンナイトトーナメント戦だ。このトーナメント戦には、北原と折原がWARがチャンスを与える形でシードされて参加。が、それぞれ天龍と石川にあえなく敗れて、さらに敗れた選手同士で3位決定戦を行ったのだけれども、この試合でも「凄い」ってな感じは出せなかったんだな。
 あれから5年。北原も折原もチャンスを掴み取る事ができぬままここまで来たのだけれども、5年の歳月は本人達が指向する、しないに関わらずWARに何かを与えられる立場から、WARへ何かを与えられるかも知れない立場へと二人の位置づけを変えた。
 一介のレスリングファンに過ぎない僕が、この二人に「立場が変わったんだから、あれこれしなくちゃいけないんだ。」なんてことを言うつもりはさらさらないけれども、何の理由かここまでのめり込んでしまった者としてじっくりと見させてもらおう。まずは98年1月8日大阪府立体育館第2競技場の北原・折原 対 天龍・荒谷戦だね。
 ところで、北原はキャプチャーからも選手を出す腹積もりのようで、東スポにも『格闘道場を経営する北原は「道場のヤツらをドンドン出す。」と予告。この軍団にはプロのシューターや極真の猛者、アマチュア・リングスで活躍した選手らがツメを研いでいると言う。』と出ている。この「プロのシューター」ってのがスーパーライダーだったりしたらこれはもう最高なんだけれども、なんとかならないかな>北原選手。

97年12月25日
とりあえず97年のWARは今日でおしまい。
▲とりあえず97年のWARは今日でおしまい。
 昨夜はWAR年内最終興行を見るべく後楽園ホールへと。日程的にあまり余裕を持たずに発表した大会だったためにか観客動員数はかなり少なかった。それでも、試合は見るに値したし、まあ、とりあえずこれで97年型のWARは終わり、また来月からの98年型WARもお楽しみと言ったところさ。
 途中の休憩時間にファンヘの感謝として行われた「あっちむいてホイ」大会。優勝した人にはWARのチケットと引き換えられる5万円分の金券が。5万円もの金券をくれとは言わないが、全国どこの会場でも使える「優待券」が欲しいなぁ。地方の会場へ出かけるとなると、当日券を買う事が多いのだけれども、地元のファンはそのほとんどが優待券を使って、僕ら遠来のファンよりもかなり安く入場しているんだから、ちょっとだけ癪だよね。
 で、98年型WARはどこから見始めるかと言うと、1月8日の大阪大会から。何の偶然にか7日福岡8日岡山9日大阪と出張が入っていて、8日夕刻には新大阪へと入っているんだな。ちょっと前にPの穴・小太郎さんの日記ページに「高砂?行きませんよぉ。」と答えた事があったけれども、多分行っちゃう。こんなことで良いのか?98年型の僕は、ははは。

97年12月23日
テレビ電話で馬之助を呼び出そう
▲テレビ電話で馬之助を呼び出そう。
なんだ「デビル」ってこいつらのどっちかことだったのか
▲なんだ「デビル」ってこいつらのどっちかことだったのか。
 「上田馬之助を激励するプロレス大会(以下「馬AID」)」を見るために、いそいそと後楽園ホールへ。水道橋の駅へと着いたら随分な人出。しかも若い女性客が非常に多い。さすがは力道山OB会だと訳の分からない感心の仕方をしたのだけれども、今日は東京ドームでもなんかあったわけね。何だったのかはよく分からないけれども。
 試合は全13試合。これはしんどい事になるかとも思ったけれども、手際の良い進行で15時30分頃にすべて終了。その足で鷺宮へ向かいビッグ・フォール(以下BF)の旗揚げ戦を見るってのも考えてはいたんだけれども、馬AIDで冴夢来や国際プロモーションを見たからBF観戦は取り止め。インディの試合ってあんまり一時にたくさん見るとかえって疲れちゃうような気がする。何事にも適量があるってこと。ところで、鶴見五郎の対戦相手「デビル」ってヘルス・エンジェルスの一人だったんだな。ははは、知らんかった。
 さて、全13試合のうち北原対荒谷戦(別ページにレポート掲載)はこれを見るためにチケットを買ったのだから、別格として、ほかに印象に残った試合と言うと、なんだろうなぁ。試合よりも、第一試合の全日本プロレス「浅子対志賀」をコールした木原リングアナウンサーと第二試合のWAR「北原対荒谷」を裁くためにやってきた海野レフェリーがすれ違いざまに笑顔でチョコチョコっと会話を交わしていたことの方が印象に残っているな。木原リングアナウンサーが海野レフェリーに近づいて行き、軽く膝で小突いてから始まった二三言の会話。SWS設立に伴う全日本プロレス分裂の件(全日本プロレスからSWSへと移動したのは、レスラーだけではないのだ)をリアルタイムで経験していれば、なんとも心に沁みる光景に見えてもおかしくはないんじゃないかな(でも、本人達にはそんなつもりは全然なかったりしてね)。

97年12月21日
 どういう訳か最近書くほどの事もない日々を送っているわけです。普通この時期は忘年会が目白押しだったりするわけで、僕の友達も連日酒席に駆り出されていたりするのに、僕自身はいわゆる忘年会はゼロ。職場の忘年会はあったけれども、友達と飲みに行くために断ってしまった。なければないで困らないからね、忘年会なんて。
 なんだか、こうレスリング関係では書きたくなるほどの事がないねぇ。そう言えば北原選手がWAR離脱を宣言したとの記事を東スポで見たけれども、細かいところは分からないから、まだ何とも言えないな。ただ気になるのは菊地選手や石井選手がこれまで「キャプチャー」で行ってきた練習がこれからどうなるのかってことだな。二人ともキャプチャーが出来てから、マット捌きが目に見えて上手くなったからな。このあたりの練習環境は残しておいてもらいたいのだけれども。とりあえずまあ北原選手には23日の対荒谷選手戦をビシッと決めてもらわない事にはね。12時試合開始で第2試合だから、寝坊をしないように今からコンディションを作っておかなければ。だからっていきなり昨夜から12時間連続睡眠を取り始める必要はねえんじゃないかねぇ>自分。
97年12月17日
 いまこのChisatoy夜話を打ちながら、PCはバックグランド処理で大量に年賀状をプリントしている。僕自身は年賀状をほとんど出さないのだが、親の方はそういう訳にもゆかぬらしく、毎年それなりの量を印刷屋へ発注していたのだが、96年からはPCとカラープリンタを使っての内製にしたのだ。
 プリンタの排出口に溜まってゆくはがきを見ていると、子供の頃に「科学と学習」の付録を使って年賀状を作っていたことを思い出した。毎月やって来る「科学」と「学習」の付録は本当に子供心を躍らせるものだった。あんな風に楽しめる付録をつけた大人向けの「科学」とか「学習」ってのは出ないだろうか。だめ?。