雑記帳CHiSAToY夜話 98年6月上旬
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98年6月14日
 北原光騎率いるキャプチャーインターナショナルの地下室マッチVOL.2へと出かけてきた。新宿のライブハウス「ACB」で行われるあれである。
 今日の試合の模様は、明日までにグラフレポートを公開するとして、驚くべきは次回7月19日に同所で行われる地下室マッチのメインイベントである。なんと、北原光騎 対 北尾光覇である。北尾だぞ、北尾。北尾が通常のレスリング用リングも入れられないような地下室のライブハウスで闘うのである。これに驚かずして、何に驚くか。
 北尾が狭い会場で試合をしたのは、過去にSWSの新横浜仮道場で行われた「登龍門」マッチがあるが、あれとて、リングまでにはそれなりの距離があった。ところが、ACBで行われる地下室マッチはフェンス一つで選手が闘う領域と観客席を仕切っているにすぎない。それこそ、自分の足元で選手がダウンしているような会場である。そこに北尾……。
 とにかく、次回のチケットは入手した。後は当日を待つのみなのだが、とてつもなく興奮的だ。すぐにキャプチャーインターナショナルジムへ連絡を取り、チケットを入手されることをおすすめする。


98年6月13日
 「亀長」、継続して「CHISATOY夜話」をお読みいただいている読者ならばこの名前をご記憶かも知れない。そう、中野にあるつけそば屋の名前である。もし、ご記憶にない方ならば、今年3月の夜話をご参照願いたい。
 さて、この「亀長」、僕自身は最近足が遠のいていたのだが、友人が「この前『亀長』へ行ったら、旨くなってましたよ。で、店主に『味変えたでしょ』と言ったら、にやりと笑ってうなずきながら『面も細くした』って言ってましたよ。」と言うので、久しぶりに出かけたのが水曜日のことである。
 傘を閉じ、店へと入ると、店主が麺をゆでている。今日もなぜだか客の入りは良い。が、よくよく店主を見ると別人ではないか。「亀長」を「亀長」たらしめていたあの店主ではない。さては店主、11時から翌朝5時までと言う過酷な労働に体調でも崩して、援軍を頼んだか。それはさておき、とにかくもつけそばを食べる。
 変わっている、確かに変わっている。変えたと言うよりも、これは別物だ。かつては、それぞれの味が「しょうゆ!、酒!!」と叫びを上げて襲いかかってきたものだが(どんなじゃ)、今ではそれらが徒党を組んでじわじわと真綿で首を絞めるかのように攻めてくるのだ。「自分では味見をしない」と言い放った店主もさすがに味見をして作ったとみえる。
 同時に注文した一口餃子が出てこないと言う、相変わらずの手際の悪さを見せながらも、味の面では進化を見せた「亀長」に感慨を覚えながら会計を済まし店を去り際、同行した友人が「(いつもの)マスターは?」と中国人店員(男)に問うたところ「あの人辞めた。この人新しいマスター」と。
 なんと、以前に我々が店主と思っていた人間は、雇われだったのか。この「亀長」は背後に組織があるのか。組織とは一体……。そしてこの日、2代目の店主は煮豚(チャーシュー)の作り方で中国人店員(男)に「ダメ」を出されていたぞ。その中国人店員(男)は2代目店主に「ゆで時間は3分」と今更な注意を受けていた。それぞれが中途半端なまま、それでも「亀長」は進む。謎の新メニュー「鳥取ラーメン」をも手にした今、その進路はどっちだ。


98年6月11日
 WAR6.30筑波大会の対戦カードが発表された。早速、平井と北原の対戦がメインイベントで組まれている(平井・石井 対 北原・ニイハオ)。今これをせずになにをするか、と言えるカードだ。
 しかも、公式Webでのカード発表では、同時に平井、北原両選手のコメントも掲載されている。こうした努力はこれからも続けてもらいたいもの。
 惜しむらくは、筑波大会、平日の、しかも火曜日だから見に行けるファンも限られるだろうし、プロレス週刊誌の締め切り関係から言っても、一番間の悪い日ではないかと思う。このあたりのハンデを、試合後のコメントをWebページに載せるなどでフォローしてみる、こんなことも考えられるのではないか。
 とにかくも、筑波の平井−北原対決、これは盛り上がること間違いはない。平井にとり北原は、休養開け第一戦の相手としては、少しばかり荷が重いかも知れないが、反面膝の状況は良くなっているだろうから、さらにトレーニングを積んで試合に臨み、北原と我々をあっと言わせて欲しい。
 平井、数カ月ぶりの復帰戦、そのままスゥーッとリングに上がってしまうのでは、ちょっともったいない気がする。復帰戦直前のトレーニング風景などを、1カットでも良いからWebページでフォローしてくれたりすると、きっとファンの気持ちも盛り上がると思うのだが、どうだろうか。


98年6月9日
IWAジャパン勢に向けてマイクアピールする平井。蛍光灯がわびしい。
▲IWAジャパン勢に向けてマイクアピールする平井。蛍光灯がわびしい。
 WAR御殿場大会へ平井と北原がやってきたことは、日刊スポーツにも東京スポーツにも載らなかったようだ。こんな時こそ、ここに写真を載せておきたいものなのだが、御殿場大会は既設の蛍光灯だけを使う、とても暗い会場だったことと、ストロボを持っていったものの、それを取り付けるアクセサリーシューをオリンパスOM2−nへ取り付けずに出かけてしまい、ストロボを使えなかったこととで、ろくな写真が撮れていない。
 昨年5月8日にパチンコ店の駐車場で行われた春日部大会も暗い会場だったが、それでもあの会場には工事現場で使うような投光器があったし、屋外会場であったから、それはまた一つの趣というやつだけれども、今回の御殿場大会はただ単に薄暗かったな。
 地方会場へ照明器具を持って行けるかどうか、これもその団体の状況をはかる一つの物差しになる。WARが地方会場へ照明を持って行かなくなったのはいつくらいからだろうか。
 地方会場の照明は、大抵の場合単光源になるので、光と陰の部分がはっきりとしたコントラストを描き、それが選手の筋肉のうねりを強調させて独特の雰囲気を作り出す。もう一度、あの雰囲気の中でWARの闘いを見てみたいと思うのだ。


98年6月6日
 石井選手初めてのメインイベントは、20分にもなろうかという大熱戦であったが、連携に勝るIWAジャパンチームの分断作戦を受け、山田からみちのくドライバー2連発、バックドロップと連打を受けて沈んでしまった。菊地も場外で流血させられており、WARのマットは、意気上がるIWAジャパン勢に占拠されてしまった。そのとき、マットへ滑り込むように上がったのは、1月大会をあとに負傷療養のためにマットを離れていた平井だ。
 第一試合が始まる前から、売店あたりに平井の姿を見かけていたので、もしやするととの予感もあったが、やはり、実際にIWAジャパン勢を蹴散らし、そして野太い関西弁でWARを守る、荒谷はじっくりけがを治してくれなどとアピールしている様を見ると、WARのこの窮状によくぞ立ち上がってくれたと思う。
 平井に蹴散らされたIWAジャパン勢は、特に反抗することもなく控え室へと消えていった。消えていったIWAジャパン勢をさらに挑発する平井。このまま平井がWAR軍をまとめ上げて御殿場大会は大団円かと思ったそのとき、疾風のようにリングへ突進し、平井をはり倒した男。北原である。
 思いもやらぬ北原の登場は、ニイハオを引き連れてあくまでもキャプチャーインターナショナルとしてのもので、平井をはり倒した、返す刀で菊地、石井、一宮もめった打ちである。その迫力たるや、さすが北原大したもの。
 一通りWAR勢をはり倒した北原は平井へ向かい「なんだ、しろうとがリングへ上がりやがって、てめぇ、プロレスをなめてんのかっ。」とキツイ一発。ここ御殿場はニイハオの地元らしく(と言うことは、ニイハオは二重国籍なのか(笑))、大量かつ熱烈なニイハオ応援団が来場している。そんな会場だから、北原、ニイハオ組には万雷の拍手、声援だ。意気揚々と引き上げるキャプチャーインタナショナル北原、ニイハオ組である。
 残されたのは、平井以下のWAR軍だ。平井にしてもWARの窮状を見かねて登場したものの、予想だにしなかった北原の襲撃を受け出鼻をくじかれた。それでも、菊地、石井、一宮とともに、WARの健在をアピールしてまとめ上げた。荒谷、安良岡の欠場により、その先行きが全く見えなくなっていたWARマットだったが、ことここに至ってWAR正規軍、キャプチャーインターナショナル、武輝そしてIWAジャパン勢と勢力分布と抗争関係が明確化かつ多層化した。
 惜しむらくは、場所が御殿場の青果市場であったがために、会場を別の意味でにぎやかしていた節操のない酔漢やニイハオを慕う子供たちには、その意味合いと、今後への興味を持つとまでには、到底至らなかっただろうなと。また、次回6月30日の筑波大会まで間が空くばかりでなく、その後は8月下旬まで試合がないと報道されている。平井の復活、また場合によっては北原もマットに上がるかというこの状況で、試合を見せられないと言うのは残念なことである。
 ともあれ、今日の御殿場大会、大迫力であったのみならず、WARの歴史を語る上で、欠くことのできない大会となったのだ。


98年6月3日
 1日の試合で荒谷選手が負傷してしまい、開催すら危ぶまれる状況になっていたWAR6.6御殿場大会だが、カードが発表された。メインイベントは菊地、石井対山田、月岡、僕が知る限りにおいて石井選手初めてのメインイベントだ。石井選手がメインイベントというものをどのように魅せるか、楽しみだ。
 この日の全6試合、お世辞にも充実したと言えるものではない。そりゃそうだ、WARの選手は菊地、石井、一宮の3人しかいないんだから。常連だったバトレンジャーも休みだ。それでも、発表済みのやり抜くと結論を出したWARにはその心意気を感じさせる大会にしてもらいたい。
 それにしても、解せないというか、何じゃこりゃと言うのは日刊スポーツの記事である。そのサイトを見ると(リンクはつけたが、毎日更新されるので、該当の記事ではなくなっていると思う)見出しには、「WAR活動休止」と大きく出しているが、記事では8月に再開予定と。つまり、平たく言えば7月には試合の予定がありませんよと言うことじゃないか。
 確かに、荒谷、安良岡の二人が数ヶ月試合をできない(できそうにない)から苦しい状況ではあるが、WARという会社があって、大会は開催しないまでも、何とかしようと考えて、準備をしているオフィス、レスラーがいる限り、それは休止とか、停止とかではなくて、立派に活動中と言えるものだと、そんな気がする。
 それゆえ、WARにはたとえ大会を開催しない時期でも、どんなことを考えて、どんな準備をして、どんな日々を送っているか、こんなことを積極的に公開して欲しい。再起に向けて頑張っている姿を見せること、全力を尽くすこと、これらはリング外の活動ではあるが、充分に立派なプロレス団体活動だと言えるのじゃなかろうか。


98年6月1日
 たとえばもし、荒谷がIWAジャパンに所属したままだったら、たとえばもし、荒谷がWARを抜けてどこか違う団体に参加していたとしたら、一体どんなファイトを繰り広げているだろうか。たとえばもし、荒谷がWARじゃないところで、安田と対戦して、今日と同じ試合を繰り広げたとしたら、観客はどんな反応を示しただろうかと空想してみる。
 現実の荒谷は、WARに所属している。所属しているだけじゃない、荒谷がWARの看板を背負っているのである。日本マット界のトップたる天龍源一郎が創り上げたWARと言う金看板を背負っているがゆえに、安田をエビ固めに押さえ込んでも、その試合内容がすっかり安田に「見切られた」試合運びだったとして、観客から落胆の声が聞こえてくるのだ。確かに、試合内容は誉められたものではない、ファンを落胆させるようなものだった。
 が、とにかくも、大相撲のふんどし担ぎも務められずに逃げ出した男が、看板を任せられるまでになって、そして三役まで張った男を押さえ込んだのだから、それはそれで正しく評価、記録されるべきことなのだ、と思う。
 今の荒谷、そしてWARは、金看板を支えるにはもろすぎる。目を覆わんばかりのもろさだ、不出来だ。そもそも、それだけの器量を持ち合わせて生まれてきていないのかも知れない。それが現実、運命だ。
 それでも、荒谷は自分がWARだと言い張る、オフィスはWARの名の下に試合を続けようとしている。現実、運命に逆らっている。あたかも、鯉が挑み続けた滝が、いつの日か登龍門と呼ばれたように、その姿勢を見せ続けるだけで、それだけで充分にWARと言う金看板、登龍門への挑戦運動体なのだ。
 荒谷が、WARが現実、運命に抗いながらも、はてしのない挑戦、闘い、冒険を続けるのならば、僕もとことん見届けようじゃないか。見届ける人間が数少なくなろうとも、必ずや最期まで見届けるから、挑み続けろ、荒谷、WAR。

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